死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない
仕事の帰り際、九条は朔夜を引き止めた。
「御神影の薬って、菓子だよね」
「しつこい。不都合でもあるのか」
「実はさ、前々からマークしていた異能者が最近姿を消しててね。どこにいるか知らない?」
「知るわけないだろう。異能検分はお前の仕事だ」
「そうなんだよ。現場で固定師をやって、事務では異能検分まで任されてる。本当に大変でさ。だから、何か知ってたら教えてほしいんだけど」
「力になれそうにない」
朔夜は興味を失ったように視線を外す。
そのとき、九条の部下が朔夜の胸元に視線を止めた。
「御神影執行官。汚れがついております」
部下の指先が朔夜の胸元をかすめた。汚れを払うだけの、ごく自然な動作だった。
かすめた瞬間、朔夜は胸元が妙に軽くなったような違和感を覚えた。しかし、彼が眉を動かした時には、すでに部下の手は引かれていた。
「きっと鷹宮さんなら、何か知っているだろうな」
九条の言葉に、朔夜の動きが一瞬だけ止まる。だが、すぐに顔を上げる。
九条は全て逃さず見ていた。
「僕が忙しくなったのも鷹宮さんのせいだし。いつか御神影の家に行って、文句を言わせてもらうからね」
九条のさりげない揺さぶりに、朔夜の足が完全に止まる。そこに明確な躊躇いがあった。
「関係ない話なら俺は帰る」
そのまま九条の返事を待たずに背を向けた。
「御神影。今日は疲れただろうから、ゆっくり休んで」
九条はわざとらしく手を振り、その背を見送った。やがて姿が見えなくなると表情がすっと消えた。
「……上出来だよ」
九条が差し出した手に、部下が小さく頭を下げ、何かを渡す。それは、朔夜の胸元にあった小春の小さな麻の巾着だった。
九条は躊躇うことなく、紐をほどき中身を取り出した。
掌に転がったのは──飴。
懐紙に包まれたそれを指先でつまむ。違和感を覚えた瞬間、九条の灰青色の瞳が、驚愕と警戒に大きく見開かれた。
(……やはり、ただの菓子じゃない!)
飴の表面は穏やかだ。だが内側で霊力が規則的に巡っている。閉じた輪のように静かに循環しているのだ。
九条は眉間に皺を寄せ、手をわずかに遠ざけた。
「これ、霊草菓子だね。……なるほど。御神影が倒れないわけだ」
「……危険ではないのですか?」
部下の問いに、九条は肩をすくめる。
「……これは強すぎるね」
軽い言い方だったが視線は鋭いままだ。
「普通の人間なら身体が追いつかない。取り込めば、それなりの反動が出る」
「ですが……触れても何も感じませんでしたが」
「それが厄介なんだよ」
九条は飴を見下ろす。
「表面が綺麗すぎて気づかないまま身体に入れてしまう」
部下が小さく息を飲む。
「以前、偵察に行ったあの菓子屋の娘でしょうか。今、行方不明でしたよね?」
九条は一瞬だけ動きを止め、小さく喉を鳴らして笑った
「……なるほどね」
巾着を軽く持ち上げ、鋭い視線を向ける。
「まあ、作ってる本人にも悪意はない。
そこは間違いないよ。一番の問題は──」
九条は言いかけて、すっと止めた。わずかな間、じっと考えてから部下に巾着を戻した。
「……これを本部に回して。成分を分析させる」
淡々とした、しかし拒絶を許さない上官の指示だった。
部下は無言で受け取り頭を下げる。
九条は窓の外へ視線を向けた。
ちょうど朔夜が馬車に乗り込むところだった。その動きに乱れはなく、消耗の気配が全く見えない。
(……あれだけ浄化をして、まだ立てるのか。あの菓子一つで)
九条の口元に歪な笑みが浮かぶ。
(御神影を無敵にする菓子職人が、本当にあの娘なら──御神影家に置いておくべきではない)
逆光のなか、九条の美しい顔が影に染まっていく。
「放置しておくわけにはいかないな。
……国のためにね、御神影くん」