死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない



 馬車が鈴白に到着すると、朔夜は迷いなく戸を叩いた。
 警戒するように戸を細く開けたのは、小春の父親だった。

「何の御用でしょうか」
 頬は痩け、目の下には濃い隈が浮かんでいた。凛とした風格は消え失せ、目の前のものへ縋りつこうとする飢えた獣のようだった。

(この変わりよう……小春が見れば傷つく)
 ぐっと握った拳に力がこもる。
 無駄な問答は、小春を苦しめるだけだ。
 朔夜は一つ深く息を吐き、呼吸を整えた。

「小春を迎えに来ました。返していただこう」
「あいつはうちの娘だぞ! 攫うなら、お前こそが誘拐犯だ!」

 突きつけられた指を、朔夜は氷のような眼差しで見据える。思わず奥歯を噛み締める。それでも声音だけは冷静だった。

「対価なら払う。──全部だ」

 朔夜が片手を上げると、背後から鷹宮が、ずっしりと重い革張りの大きな鞄を抱えて前に出た。
 父親の後ろから、母親が下卑た好奇心を隠さずに覗き込んでくる。
 鷹宮はニ人の視線が集まったのを確認し、おもむろに鞄の口を開いた。

 そこには、眩いばかりの札束が隙間なく詰め込まれていた。
 父親は思わず言葉を失った。目の色だけが、ぎらりと変わる。

「……これは、御神影様。ようやく結納金をお持ちいただけたのですね」
 父親は声色を変えてそう言い、戸を全開にして這いずるように鞄へ手を伸ばす。
 しかし、鷹宮がすんでのところで脇に抱え直した。

「あなた。落ち着いて! 一旦、中へ。受け取るのはそれからですわ」
 笑顔の母親に招き入れられる。
 その変わり身に、朔夜は呆れを覚えた。家へ上がると、さらに朔夜の視線が険しくなる。

「先ほどは父が失礼いたしました。朔夜様」
 現れたのは、小春の若草色の着物を纏った紗良だった。

 その若草色を見た瞬間、朔夜の呼吸が止まった。
 あの日、小春のために選んだ、世界に一着だけのもの。
 それを、泥棒のように奪って着飾る目の前の女。

「……それを脱げ。小春の匂いが穢れる」
 喉の奥から地響きのような声が漏れる。髪が逆立つような威圧感が室内に満ちた。
「あら。まるで私が盗んだみたいな言い方ですわね。姉様が、私の方が似合うからと交換してくださったのですよ」
 悪びれる様子もなく、紗良は袖を広げて裾を揺らした。

 朔夜は目を伏せ、額に青筋を浮かべる。
 そして、鷹宮へ視線を送る。
 鷹宮が鞄を卓に乗せ、中から札束をどすんっどすんっと積み上げる。
 三人は我先にと身を乗り出した。

「これで鈴白は立て直せる!」
「こんな大金を持参されるなんて。あの子も役に立ったものね!」
「姉様を連れて行くんですもの、当然の対価ですわ!」
 父親の手が札束に触れようとした瞬間、朔夜の低い声が響いた。

「お渡しする前に。契約を交わしていただく」

 三人の意識はすでに金に支配されている。
 鷹宮がすっと一枚の用紙を差し出した。そこに記されていたのは、小春と鈴白家の縁を断つ誓約。

「そんな紙、いくらでも書きますとも!」
 父親はろくに内容を読みもせず、笑いながら拇印を押した。
(この男の浅慮が、鈴白を潰したのだな)
 冷めた確信を抱きながら、朔夜は用紙を回収した。
 そして改めて低く告げる。

「……では、小春を返していただこう」

 紗良がすうっと表情を消した。そして、口の端をあげる。
「何をおっしゃっているの。姉様はすでに御神影に嫁いだでしょう」
「とぼけるな。小春は昼から家に帰っていない」
 紗良の演技に母親が便乗しだす。
「まあ、言いがかりですわ。小春は自分の意思で家出をしたのでしょう」
 母親は紗良と視線を交わし、小さく笑った。
「自分の役目が息苦しくなったのね。昔から出来の悪い子ですから」

「減らず口はもういい。居場所を言わぬなら力づくで奪い返す」
 朔夜の鋭い眼光が二人を刺す。

「おい。知らんものは知らんのだ。帰ってくれ!」
 今度は父親がお金を奥に隠し、朔夜を犬を追い払うように手で払った。
 
 ──カチ、と朔夜の中で、理性の枷が外れる音がした。
 朔夜の額にみるみる青筋が立つ。
 静かに右腕を持ち上げた。

「では仕方ない」
 父親に指二本を向ける。
「穢れまみれの人間は、浄化され苦しむだろう」
 そして目を伏せる。

「──(じょう)!」

 朔夜の低い声が屋敷に響いた瞬間、指先から目も眩むような光が走った。
 光を浴びた父親は、突如として目を血走らせ、「くっ……があ……!」と喉を掻きむしって床に転がり、のたうち回った。胸元を握りしめ「ひゅっ、ひゅっ」と吸えない空気を必死に吸い込む不気味な音が室内に響き渡る。

「あなた⁉︎」
「お父様⁉︎」
 紗良と母親が恐怖に青ざめる。

「骨になるまで浄化されたいか?」
 朔夜がさらに指先に光を込めると、父親は泡を吹かんばかりに悶絶し、完全に白目を剥きかけた。

「わかったっ!教えるからやめて!」
 母親が半泣きになりながら大声で教える。
 すると朔夜は指を折り、腕を下ろした。
 同時に、苦しんでいた父親が一気に空気を吸い込み咳き込んだ。
 三人は恐怖で顔が固まっていた。
 朔夜は眉ひとつ動かさない。

「小春はどこだ」
 朔夜が問いを重ねようとしたその時。
 屋敷の奥──裏庭の方向から、ガン、ガンと金属に何度も衝突するような音がかすかに響いてきた。

 朔夜は耳を澄ませる。

「……見つけた」











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