泡沫の月に幽玄の狼
「ねえ、絃士」
わたしが話し掛けると、絃士は「ん?」と短い返事をした。
「また···来てもいいかな」
少し照れくさがりながらも、わたしはそう訊く。
すると絃士は、優しく微笑み「もちろん」と答えてくれた。
「ただ、毎週水曜日はこの時間帯はいない事が多い。巡回で」
「あ、そうなんだ。わかった」
わたしがそう返事すると、今度は絃士の方から「···都子は、さぁ」と話し掛けてきてくれた。
「ん?なに?」
「···大丈夫か?」
「えっ?」
「―――いや、何でもない。悪い、気にしないでくれ」
絃士は、何かを言い掛けてやめてしまった。
しかし、わたしには分かった。
きっと貴博との事を聞こうとしたに違いない。
(絃士にまで心配をかけてしまっているんだなぁ···)
わたしはそう思った。
「···あ、じゃあ、わたしそろそろ帰らないと」
交番の時計がそろそろ19時を指しそうにしていた為、わたしはパイプ椅子から立ち上がった。
絃士は少し名残惜しそうだったが、「おう、気を付けて帰れよ」と言ってくれた。
「うん、大丈夫。家すぐそこだから」
「そうだったのか」
「うん。じゃあ···、また来るね」
わたしがそう言うと、絃士は「わかった、待ってる」と言い、小さな敬礼をした。
それをわたしは真似して、わたしたちはお互いに小さく笑い合う。
それから「じゃあ、また」と言い合い、わたしは交番をあとにした。
短い時間ではあったが、絃士に会えて良かった。
あの一瞬で逃げてしまったけれど、絃士から声を掛けてもらえて嬉しかった。
少しだけど、話せて良かった。
拒否されなくて良かった―――
わたしはその事だけで、心が躍り、つい鼻歌を唄ってしまいそうになったのだった。