女除霊師の密かごと


『そう、あれは三年前の春……』
「聞いてないわよ」

 すかさず割って入った花恋さんは、辟易したように顔を顰めている。
 しかし、人体模型は構わず続けた。

『湊クンは遅くまで理科室に残って、ずっと勉強をしてた。化学が苦手みたいで、眉間にしわを寄せて、すごく真剣な顔で……。アタシは湊クンの顔と、努力家なところに惚れたのヨ。だから三年間、授業のたびに湊クンをずっと見ていた』

 人体模型は、どこか遠くを見つめるように虚ろな目で言う。花恋さんがぼそっと「怖……」と呟いたが、人体模型は語るのに夢中で聞こえていなそうだ。

『でもね、三年生の三学期。先生が来て、湊クンを呼び止めたの。〝テスト、どうした。大事な時期なのに前より落ちてるじゃないか〟って。湊クンは、黙って下を向いていたワ。明らかに傷付いてること、アタシでも分かった……でも先生ったら、平気で言うノ。〝そういえばお前の弟、首席入学らしいぞ〟って――』

 私達が黙って見守る中、人体模型はそっと首を傾ける。目の奥に、過去の幻を浮かべるように。

『……あの時の顔、忘れられない。悔しくて、惨めで、消えてしまいたいって顔してた。あんなに綺麗な目が、あんな風に曇るなんて。だからアタシ、思ったの。湊クンのことを守ってあげたいって、傍にいてあげたいって……。そう強く願ったら、いつの間にか動けるようになってた。言葉も喋れるようになっていたノ。だけどその日から、湊クンは理科室に来なくなって……』

 突如、人体模型の泣き声が理科室に響き渡る。

『アタシはもう、湊クンとは会えない運命なのヨッ!』

 人体模型の強い感情に反応して、理科室の空気が軋んでいる。

 その傍らで、私はちらりと博士の顔を盗み見た。
 暗がりの中、博士の表情はよく見えない。博士は、兄である湊が自分と比べられていたことを知っているのだろうか。たとえ知っていたとして、兄が自分のせいで思い詰めていたと分かれば、かなり複雑なのではないだろうか。

「……山本湊をここへ連れてきたら、白露院がどこにいるか教えてくれる?」

 私が聞くと、人体模型の嗚咽がぴたりと止まった。ぎぃ……と、その顔がこちらへ向く。涙でぐしゃぐしゃの顔に、ほんの少しの希望が浮かんでいる。

『……ホントに? ホントに、連れてきてくれるノ?』

 私は黙って頷いた。連れてくると言っても、湊は今猫の姿である。今の湊の姿を見て人体模型がどう感じるかは分からない。けれど、連れて来るだけなら可能だ。

『アタシ言っちゃうカモ。湊クンが来て、アタシの目を見て優しくしてくれたら……白露院のこと、話しちゃうカモ』
「分かった。連れてくるって約束する」

 私は人体模型の目を見て言い切った。
 やっと白露院の手がかりになりそうな魂を見つけたのだ。交渉材料があるのであれば活用していきたい。

「湊を連れて改めて出直す。……この人の縄、解いてもらえるかな?」

 花恋さんに視線を送ると、彼女は困惑した顔で返してくる。

「折角捕まえましたのに、逃がすのですか?」
「多分その御霊具は、こいつが本気になれば外れると思う」

 私の言葉に、花恋さんの表情が曇った。彼女は納得がいかないのか、唇を引き結んで手の中の縄に視線を落とす。
 この人体模型がどれほどの霊力を持っているか、私にはもう大体視えている。私たちの今の装備で、正面から戦って勝てる相手じゃない。下手に逆なでするより、約束を守って丁寧に立ち回った方が良い。

「……優眠様が言うなら……」

 花恋さんは渋々といった風に縄を解いた。


 理科室を出て、私達三人は無言で廊下を歩いた。校舎の街灯が遠く、窓の外はほとんど闇だった。
 博士が最初に口を開いた。

「遅いよりも早い方がいいでしょう。明日の朝、僕も時間を作りますので、もう一度あの理科室に――」
「次は私一人で行く」

 言った瞬間、博士の顔に困惑が浮かんだ。

「……何故ですか?」

 その問いに、私はすぐに答えられなかった。

「考えがあるの。とにかく私に任せてほしい」

 全部は言えない。あくまでまだ予想に過ぎない、湊のプライバシーだから。
 不思議だった。ずっと。いつもは昼間起きているのに、何故博士が来るタイミングで、毎度湊の意思が猫のものになるのか。

 多分湊は――――博士がいると出てこない。



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