女除霊師の密かごと
翌日の昼休み。寮の階段を駆け上がった私は扉を開け、部屋に飛び込む。ミナトはテレビの前、ふかふかのクッションの上でくつろいでいた。画面にはお昼のニュース番組が流れている。
「ミナト!」
呼びかけると、ミナトはぴくりと動いてこちらを向いた。
『うおっ、ビビった。どうしたんだよ? 学校の時間じゃ……』
「ミナトの意思があるうちに、一緒に来てほしいところがあるの」
私はカバンの口を開け、ミナトを中にぐいっと押し込む。
そして、玄関に立て掛けてあった木刀を掴んだ。
『ちょ、急に何だよ! 先に説明を――』
小走りで階段を駆け下り、玄関で靴を履き替える。
昼休みの理科室は静かだった。
私はミナトを抱えたまま、扉の前で立ち止まる。
この猫が山本湊だと伝えたら、冗談だと思われるかもしれない。下手をすれば、ふざけているのかと逆上される可能性だってある。
意を決してドアをノックするが、返事がない。私はゆっくりと取っ手を回し、扉を開けた。
刹那、目の前にどん、と人体模型が現れた。
視界一杯に飛び込んできたのは、一段と口紅を塗り、厚化粧となった顔面である。
「うわぁっ!」
私はあまりの近さに驚き、後ろへ倒れ込んで尻餅をついた。
しかし、人体模型はこちらには一瞥もくれない。その視線は、私の足元の猫、ミナトに釘付けだった。
『湊クン……』
人体模型はぽつりと呟いたかと思うと、
『あァァァァァァんッ! 湊クンッ!』
大きな声と共に、ミナトが抱え上げた。まるで宝物のように、顔にぐりぐりと押し付ける。
『うわぁぁあああああっ!?』
『湊クンっ! アタシ、会いたかったッ! ずっとこの時を待っていたノ!』
『う、うわっ、何だよ、やめろっ!』
す~~~~っと、人体模型は鼻から長く息を吸い込む。
『はァァァァァァん……やっぱりこの匂い……湊キュン……』
『優眠ちゃん! 人形って言ってたよな!? 思ってたのとだいぶ違うんだが!?』
「ごめん……」
私は謝ったが、人体模型の抱擁は止まらず、どうすることもできない。確かに人形といえば、日本人形のような可愛らしいものを想像するだろう。それで出てきたのがこれなら驚きもする。
静かだったはずの理科室の中で、息を吸う音と猫の悲鳴がしばらく響き渡った。
「あんた、これが山本湊だってよく分かるね。正直もっと疑ってくるかと……」
私は猫の姿をしたミナトと、それを抱きしめてうっとりしている人体模型を交互に見やる。この調子なら、木刀を持ってこなくてもよかったかもしれない。
『恋する乙女は偉大なのヨ。目を見れば分かるワ』
人体模型はミナトの瞳を覗き込みながら、うっとりとため息をついた。
『フフ、まさか本当に連れてきてくれるなんてネ。最初からアナタとはお友達になれそうって思ってたの』
「そ、そうですか……」
私は曖昧に笑いながら、私はあまりそう思わないが……と内心でこっそり呟いた。面と向かって否定する勇気はさすがにない。
その時、人体模型がふと眉をひそめた。
『まさか湊クンが白露院に取り込まれてたなんてネェ。許せないワ、あの男』
「……白露院にやられたって分かるの?」
人体模型は小さく頷く。
『分かるも何も、この学校の人ならざる者の界隈では有名ヨ。最近、白露院が復活しようとしてるってネ』
「……復活?」
『そう。あの男、この春から、この学校の人間の魂に干渉してる。人間を動物に変えて、その魂をじわじわと蝕むのヨ』
白露院が封印されたのは、平安後期から鎌倉時代にかけてだ。そんな時代になされた封印が今の今まで保っている方がおかしい。現代になって封印の効きが悪くなってきたと言われれば納得できる。
人体模型はミナトの猫耳にそっと触れながら、なおも続ける。
『魂が十分に弱まって、人間の抵抗がなくなれば、白露院はその器の中に入り込んでいく。湊クンも危ないワ。今はまだ、湊クンの意思が猫の中で必死に抵抗してる。でも、もしその意思が消えてしまったら』
人体模型はゆっくりと顔を上げ、まっすぐ私を見た。
『白露院は湊クンの中に入り込む。そんな風に操れる駒を増やして、多くの優秀な除霊師の力を利用して、己の封印を完全に解くつもりヨ』
封印を解くため。それが、この学校に異変が起き始めた理由なのだろう。
「……白露院の場所を教えて。ミナトのことを元に戻すためにも、情報が必要なの」
人体模型は口を開きかけた。けれどすぐに言葉を止め、何かを企むように黙り込む。そして、ニヤリと唇の端を吊り上げて、不気味な笑みを浮かべた。
『いいワ。ただし、条件がある』
「は?」と、私は聞き返した。
「……ミナトを連れてくれば教えてくれるって言ってたじゃん。話が違う」
『猫の姿だから、連れてきたとは言えないワん』
人体模型はわざとらしく肩をすくめて、くすくすと笑う。
『だから、湊クンが人間の姿に戻ったら……改めて……その……』
言いながら、もじもじと腕を擦り合わせ、視線を彷徨わせる。やけに恥ずかしそうにした後、彼は意を決したように言い放った。
『キッス……してほしいノ』
『え』とミナトが短い声を漏らす。
「分かった」
私は即答した。
『え』と再びミナトが、目を丸くしてこちらを振り返る。
『いやんっ、話が分かるわネ! やっぱりアナタ、お友達になれそう!』
人体模型はうっとりと両頬を押さえ、くねくねと恥ずかしそうに腰をくねらせる。
ミナトの唇には申し訳ないが、今は一刻も早く情報がほしい。犠牲になってもらうしかない。
するとようやく満足したように、人体模型は口を開いた。
『白露院が封じられているのは――――ここから北西、旧校舎の地下ヨ』