女除霊師の密かごと


 ◆


 高熱がようやく微熱になったのは、文化祭当日の朝だった。
 鏡の中の自分の顔がやつれて見える。
 結局、途中から文化祭準備に全く参加できないままだった。なのに当日だけ顔を出すなんて、反感を買うに決まっている。クラスメイトからの冷ややかな視線を想像するとあまり学校に行きたくない。
 それでも今日は行かなければならない。動けるようになったのだから、やらなければならないことがある。

 私は宅配ボックスから取り出した段ボールを開け、中に入っていた鞘袋を背負って部屋を出た。


 外はいつもより賑やかだった。装飾が施された校舎の前に、テレビ局や一般客がごった返している。
 文化祭は、年に一度だけ、外部の人間が霊冥に足を踏み入れることを許される日だ。日本屈指の心霊名所として知られるこの場所は、全国のオカルトマニアの聖地である。そのため、外部からの一般客は毎年かなり多いらしい。

 私はなるべく目立たないように校内を歩いた。
 クラスの出し物は射的だった。景品は除霊グッズだ。塩の袋や簡易結界札、手作りの厄除けスプレーなどが並んでいる。
 クラスメイトの何人かがこちらに気づいた。気まずい……と思い、誰とも目を合わせないようにしてこそこそとその場を離れた。
 廊下を歩き、ある場所へ向かっていたその時。

「あ。ゆみたんやん」

 間延びした声が背後から聞こえた。聞き慣れた、嫌になるほど軽薄な関西弁。振り返ると、ひょろりと背の高い男が立っていた。
 目元を隠すように大きなサングラスをしたうえに、下半分をマスクで覆っているせいで、余計に怪しさが増している。

「お兄ちゃん……本当に来たんだ。……護衛はどうしたの?」

 この文化祭、外部から来た人間には一人一人、除霊のできる護衛を付けることが義務づけられている。一般客に悪霊が寄ってくる可能性があるからだ。なのに、兄の傍には誰もいない。
 兄は指でマスクを下におろし、ハッと片側の口角を上げて笑った。

「護衛? 俺にぃ? それ、本気で言うてる?」
「…………」
「よう分からん中坊の護衛より、俺の方が除霊できるに決まっとるやん。中途半端な奴おっても邪魔やわ」

 呆れる私を見下ろしながら、兄は相変わらず自信たっぷりに笑っていた。
 この、人を馬鹿にする態度。昔から何も変わっていない。
 兄は、ちらりと私が担いでいる鞘袋に目をやった。その視線に含まれる意図は分かりやすくて、嫌になるほど冷ややかだった。彼は案の定、鼻で笑ってきた。

「聞いてるで。えらい久しぶりに実家に連絡してきた思たら、自分の御霊具寄越せ言うてきたんやろ。何? 今更除霊、再開する気なん?」
「……一度だけやる。その後のことは考えてない」

 早く兄との会話を終わらせたかった。私は言葉を打ち切るように背を向け、兄から距離を取ろうとした。
 しかしその背中に、またも軽薄な声がかかる。

「――白露院の場所、分かってんの?」

 足が止まった。ゆっくりと振り返ると、兄は笑っていた。

 ……ああ、分かった。何でこいつが、急に文化祭に来るなんて言い出したのか。

 兄はくっくっと肩を揺らして笑いながら、私の肩に軽く手を置いた。

「今年の四月からなぁ、中部、近畿、四国、東北の霊障被害件数が目に見えて減ったんよ。本土の幽霊が関東に集まっとる。異常事態や。白露院の復活しか考えられへん」
「……分かってるなら本家全員連れてくればよかったのに」
「何で俺の手柄を〝皆の手柄〟にされなあかんねん。崇められたいし褒められたいし目立ちたい。御三家が生涯かけて祓われへんかった怨霊、俺一人で倒したらめぇっちゃかっこええやん?」

 そうだ。兄は昔からこういう人だ。目立ちたがりで、自分が一番でないと気が済まない。

 肩に置かれた兄の手に力が入る。爪を立て、威圧し、牽制し、釘を刺すように。


「やから、ゆみたん。いらんことせんでな」


 兄の囁き声に足がすくんだ。

――『何もできないなら、出しゃばるな』

 いつかの父の声が頭の中に木霊す。
 そうだ。私が手を出したってろくなことにならない。
 私は過ちを犯したのにまた除霊をしようとしている。どうせ兄がいるなら、兄を立て、何もしない方がいい。何を勘違いしていたんだろう。私なんかが自分の力でどうにかしようとしたってまた失敗するだけだ。なら、やっぱり何もしない方が――。


「優眠さんに触らないでいただけますか?」


 低い声が、深く沈みかけていた私の思考を遮った。肩にかかっていた兄の手の重みがすっと離れる。
 はっとして顔を上げると、そこには博士が立っていた。
 博士の手が兄の手首をしっかりと掴んでいる。細身の指だが、その力強さが兄の手の動きを完全に止めていた。
 兄はやや目を見開き、思いがけない人物の登場に面食らったような表情を浮かべている。
 対する博士の目はひどく冷たい。眼鏡の奥の眼差しは鋭く、兄を真っ直ぐ射抜いていた。

「優眠さんが怯えているようですが。何か、しました?」

 博士の声に怒気が滲む。

「一般客にしては同行者もいないようですし……生徒会に通報しますので、お名前をうかがっても?」


< 29 / 40 >

この作品をシェア

pagetop