初めて聞いた音
第12話 「あの日の音」

「先輩。」

私は信先輩の横を歩きながら口を開いた。

「私、本当に一人で部室まで行けますよ。」

「だから。」

信先輩は前を向いたまま答える。

「たまたまだって。」

「……。」

私は思わず笑ってしまう。

「なら、いいんですけど。」

そんな他愛もない話をしながら歩いていると、あっという間に部室へ着いた。

ガラガラ。

扉を開ける。

「おー!」

「来た来た!」

晴先輩が大きく手を振った。

「まずは!」

「連絡先交換!」

「はい!」

私はスマホを取り出し、晴先輩、美月先輩、透先輩と順番に連絡先を交換していく。

「よし!」

「これで全員……。」

晴先輩がスマホを見ながら首を傾げた。

「あれ?」

「信は?」

「交換しないの?」

信先輩は何事もないように答える。

「俺は昼休みに交換した。」

「あー!」

晴先輩は大げさに頭を抱えた。

「信ちゃん抜け駆けぇー!」

「……。」

信先輩は呆れたようにため息をつく。

「相変わらずウザいっすね。」

「ひどっ!」

晴先輩は胸を押さえながら大げさに倒れ込む。

そのやり取りに、部室はいつもの笑い声に包まれた。

「よし!」

晴先輩が手を叩いた。

「そしたら文化祭の曲決め!」

「それと!」

「鈴ちゃん、ボーカルする?」

私は思わず美月先輩を見る。

少しだけ気まずくなった。

その視線に気付いた美月先輩は、優しく笑う。

「え?」

「気にしなくていいんだよ。」

「私はいつでも歌えるから!」

「そ、そうじゃなくて……。」

私は少しだけ俯いた。

「私。」

「ギター、弾きたいです。」

「……え?」

部室の空気が一瞬止まる。

晴先輩も。

美月先輩も。

透先輩も。

驚いたように私を見ていた。

「ダメ……ですか?」

私は恐る恐る尋ねる。

「小さい頃に弾いたのが最後ですけど。」

「それでも。」

「もう一度、弾いてみたいです。」

「鈴ちゃん。」

晴先輩が目を丸くする。

「ギター経験者なの?」

「少しだけです。」

私は小さく頷く。

「お父さんに教えてもらってました。」

「お兄ちゃんも少しなら弾けます。」

「……もう。」

「弾かないと思いますけど。」

信先輩は静かに私を見つめていた。

その表情は、どこか驚きと懐かしさが入り混じっているようだった。

「へー。」

晴先輩は少し驚いたように笑う。

「蓮もギター弾けるんだ。」

「今度頼んでみよー。」

「あ、それは……。」

私は慌てて首を横に振った。

「やめといた方がいいです。」

その一言で、部室に少しだけ気まずい空気が流れた。

誰も何も言わない。

先に口を開いたのは、信先輩だった。

「ギターなら。」

「俺が教える。」

私は思わず信先輩を見る。

「透。」

信先輩が隣を見る。

「お前、家にギター一本あったよな。」

「うん。」

透先輩は静かに頷く。

「使ってないのがある。」

「鈴に貸してやって。」

「分かった。」

「明日持ってくる。」

「えっ……。」

私は透先輩を見る。

「い、いや……申し訳ないです。」

「そんな大事なギター、お借りしてもいいんですか?」

透先輩は小さく肩をすくめた。

「使ってないし。」

「置いとくより、弾いてもらった方がいい。」

「……ありがとうございます。」

「大切に使います。」

「そしたら。」

晴先輩が信先輩を見る。

「信、どうすんだ?」

「俺はサポートかな。」

信先輩は迷うことなく答えた。

「オッケー!」

晴先輩は指を折りながら確認していく。

「信、サポート!」

「透、ベース!」

「美月、ボーカル!」

「鈴ちゃん、メインギター!」

「俺がドラム!」

全員が頷く。

「よし!」

晴先輩は満足そうに笑った。

「次に決めるのは……。」

少し考えてから、人差し指を立てる。

「軽音部じゃ、なんかダサい!」

「だから。」

「バンド名だ!」

「なんかいいのあるか?」

「んー……。」

晴先輩は腕を組んで考え込む。

「『はるちゃんの生徒たち』とか!」

「ダサい。」

透先輩が即答した。

「却下。」

「えぇー!」

晴先輩は大げさに肩を落とす。

「ひどい!」

「はるちゃんは顧問の先生だよぉー!」

「た、確かに……。」

美月先輩も苦笑いを浮かべる。

「それはちょっと嫌かも。」

「美月までぇ!?」

「じゃあ何がいいのさ〜。」

部室が静かになる。

みんなが腕を組み、それぞれ考え始めた。

ふと、去年の夏を思い出す。

体育館の外。

風に乗って聞こえてきた、あのギターの音。

思わず、小さく呟いていた。

「夏の思い出……。」

「ん?」

晴先輩が顔を上げる。

「夏の思い出?」

「あっ。」

私は慌てて手を振る。

「ご、ごめんなさい!」

「ちょっと思い出してて……。」

「夏の思い出かぁ。」

晴先輩は顎に手を当てる。

「英語にしたら……。」

「サマーメモリー?」

「なんかいい感じじゃない?」

「そのまんまだろ。」

信先輩が小さく笑う。

「だったら。」

「サマーメモリーズでいい。」

「五人いるんだから。」

「……!」

晴先輩と美月先輩が顔を見合わせる。

「確かに。」

透先輩も静かに頷いた。

「よし!」

晴先輩は勢いよく立ち上がる。

「今日から俺たちは!」

「Summer Memoriesだ!」

「よし!」

晴先輩は親指を立てた。

「略して!」

「サマメモだな!」

「……。」

信先輩が一拍置いて口を開く。

「訳したらダサくなった。」

「えぇー!」

晴先輩は大げさにショックを受ける。

「いいじゃん!」

「サマメモ!」

「なんか可愛いし!」

「俺は嫌。」

透先輩が即答する。

「私もちょっと……。」

美月先輩も苦笑いを浮かべた。

「えぇぇ!?」

「なんでみんなそんな反応なの!」

「サマメモ、めっちゃいいじゃん!」

私は思わず小さく笑ってしまう。

「私は……。」

みんなの視線が集まる。

「サマメモ。」

「可愛いと思います。」

「ほらぁ!」

晴先輩は勢いよく私を指差した。

「鈴ちゃんは分かってる!」

「多数決で二対三だから却下。」

信先輩がさらっと言う。

「え?」

晴先輩は固まる。

「……あ。」

「本当だ。」

「まー。」

晴先輩は手を叩いた。

「とりあえずバンド名も決まったし!」

「次は曲だな!」

「ほぼ初心者の黒川がいるから、今年はコピー曲でいいと思う。」

「そうだね。」

美月先輩が頷く。

「三人はどう思う?」

晴先輩は、美月先輩、透先輩、そして私を見た。

「わ、私は……。」

私は少し緊張しながら答える。

「初めてなので、コピー曲の方がありがたいです。」

「決まり!」

晴先輩は嬉しそうに笑った。

「今年はコピー曲!」

「楽曲は今日決める?」

「それとも明日にする?」

「俺は明日の方が助かる。」

信先輩が答える。

「候補、ピックアップしたいから。」

「私もぉー。」

美月先輩が手を挙げる。

「俺も。」

透先輩も短く頷いた。

「よし!」

「じゃあ楽曲は明日決めよう!」

「今日はここまで!」

その一言で、みんな一斉に片付けを始めた。

「じゃあまた明日!」

「お疲れー!」

先輩たちは次々と部室を出ていく。

最後に晴先輩が振り返った。

「鍵よろしくなー、信!」

「はーい。」

信先輩は軽く手を挙げて答えた。

部室には、私と信先輩だけが残る。

電気を消し、鍵を閉める。

二人で並んで職員室へ向かった。

廊下は夕日に染まり、とても静かだった。

しばらく歩いたあと。

信先輩がぽつりと口を開く。

「そういえば。」

「なんで『夏の思い出』なんだ?」

「何かあったのか?」

私は少しだけ足を止める。

ずっと言おうと思っていたこと。

深呼吸を一つして、信先輩を見る。

「実は。」

「私、先輩のギター。」

「屋上が初めてじゃないんです。」

「……は?」

信先輩が足を止める。

「いつ?」

私は小さく微笑んだ。

「去年の夏。」

「お兄ちゃんの試合の日です。」

信先輩の表情が驚きに変わった。

「……去年の夏?」

「はい。」

私は小さく頷いた。

「体育館の外へ出た時に、ギターの音が聞こえてきて。」

「それが最初です。」

緊張して、信先輩の方を見ることができなかった。

「あの時の先輩。」

「すごく楽しそうに弾いていて。」

「その姿を見た瞬間。」

「心臓が、今までにないくらいうるさくなったんです。」

私は少し照れながら笑う。

「それから。」

「もう一度、その音が聞きたくて。」

「……。」

少しの沈黙。

信先輩はふっと笑った。

「そっか。」

「それで俺に、弾け弾けってうるさかったのか。」

「そ、そんなに言ってないです!」

私は慌てて否定する。

信先輩は小さく笑いながら私を見る。

「……ありがとうな。」

「え?」

思わず顔を上げる。

「多分。」

「お前がいなかったら。」

「俺、未だにギター弾けてなかったと思う。」

その言葉に、私は何も返せなかった。

ただ。

胸の奥が、少しだけ温かくなった。

「そういえば。」

信先輩が少しだけ笑った。

「あん時の音。」

「今、出せてるか?」

「え?」

私はきょとんとする。

「正直にどうぞ?」

「……。」

私は少しだけ考える。

「じゃあ。」

「遠慮なく言いますね。」

小さく咳払いをした。

「ゴホン。」

「全然ダメダメです!」

「……おい。」

信先輩が苦笑する。

「でも。」

私はすぐに笑顔になった。

「今の音も好きですよ。」

「……。」

信先輩は何も言わない。

「先輩?」

「お前は。」

信先輩は軽く私の頭を小突いた。

「いたっ!」

私は思わず頭を押さえる。

「なんで叩くんですか?」

「そういうこと。」

「しれっと言うな。」

信先輩はそう言うと、ふいっと顔を逸らした。

表情は見えなかった。

でも。

夕日に照らされた耳だけは、少し赤くなっていた。
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