恋を知らないきみへ
木ノ下くんは、私のメモにもう一度目を落とした。

『母:子どもがのびのび暮らせる家』

その文字をしばらく眺めたあと、彼は頬杖をついたまま小さく息を吐く。

「……じゃあ、それを分かるように書いた方がいい」


もたれていた身体を起こして、パソコンになにかを打ち込んでいる。
もう私の方は見ていない。

「“のびのび暮らせる家”、これだけだと曖昧だよ。それなら子どもの足音や生活音を気にせずに暮らしたい、って書いた方が伝わる」

「……それ、いま私が言ったことそのままじゃん」

「だから?」


───「だから?」だと?

あまりの衝撃の返しに言葉が出てこない。

でも、木ノ下くんは喧嘩がしたいわけじゃない。
ただ本気で、そっちの方が伝わると思っているだけだ。


「分かった。今からこのメモを、木ノ下くんみたいに頭カチコチな人にもよーーーく伝わるように書き換えるね」


私も開いていたパソコンのキーボードに手を乗せて指を滑らせる。

その上からものすごく不機嫌そうな声だけが聞こえた。

「小関さんでもそういう嫌味言うんだね」

「嫌味な人には言うよ」

「好かれたがりだと思ってた」

「なにそれ。そんなの思ったこと一度もない」


顔も合わせず、それぞれのパソコンの画面だけを見てカタカタとキーボードの打鍵音が響く。

どこから出てきたんだ、“好かれたがり”なんてワード。


くだらない、と心の中でつぶやいたタイミングで、向こうから不思議そうな言葉が落ちてきた。


「……なんで小関さんばっかり担当希望が来るの?」

彼の視線が、いつの間にか私のメモの端に書かれた“担当希望”に行っていたらしい。

「さあ。知らない」

素っ気なく答えると、木ノ下くんが悩ましげに眉を寄せて手を止める。


「いい顔してるから担当希望されるんじゃなくて?」

「……だから、知らないってば。普通に仕事しただけだよ」

「……ふーん」

納得していないのが丸分かりな声だった。

それから少しだけ間を置いて、木ノ下くんがキーボードを打ちながらぼそっと言う。


「やっぱり分かんない」

「なにが?」

「小関さんが、選ばれる理由」


そう言われた瞬間、腹が立つより先に、なんだか妙に力が抜けた。
彼はどうしても私のことが嫌いらしい。


私と木ノ下くんは、そこから一度も目を合わせなかった。



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