恋を知らないきみへ
スマートウォッチに表示された時刻は、『16:02』。
戦いのゴングが鳴った気がした。


「明日の営業部長とマーケ課長との打ち合わせ、何時から?」

木ノ下くんがマウスをカチカチさせながら尋ねてくる。

私もそこは気になっていた。ここへ来る前に部長へ確認していたので、すぐに答える。

「明日の十時から」

「……じゃあ今日で終わらせよう」

「うん」

私も自分のパソコンに向き直って、絶対に終わらせてやるという気持ちでうなずいた。



まずは全体を通して見ることになった。

同じ資料を開き、同じ一ページ目から目を通していく。


しばらくは、キーボードの音とマウスをクリックする音だけが小会議室スペースに響いていた。

意外なことに、木ノ下くんは最初から否定してこなかった。

私が作った文章も、展示場で集めた声も、高瀬さんご夫婦のヒアリングも、ひとまず黙って読み進めている。

こういう時の木ノ下くんは、本当に仕事をしている人の顔になる。

無愛想だし、言い方はきついし、さっきみたいに雑談は壊滅的だけど。
資料を見る目だけは、真剣だった。

それが少しだけ分かるようになってきた自分にも、なんとなく癪に障る。


「……ここなんだけど」

数分経ったところで、木ノ下くんが一ページ目の中ほどを指差した。

『家族が増えても、生活が回る家』

高瀬さんの言葉をもとに、私が見出しとして入れた部分だ。


「この言葉はいいと思う」

「……ほんと?」

意外な言葉に、思わず聞き返してしまう。

木ノ下くんに褒められることに慣れていないせいで、反射的に疑ってしまった。

「うん」

彼は特に表情を変えずにこくりとうなずく。
しかし、そう簡単に認めてくれるわけがなかった。

「でも、このままだと営業っぽすぎる」


……出た。木ノ下節。もはやそう呼んでしまう。


「私、営業だからね」

「そういう意味じゃない」

「じゃあどういう意味?」

「共感はできるよ。でも、資料としてはこのあと何を見ればいいのかが弱い」

───“弱い”。
またこの人は、さらっと人の胸に小石を投げてくる。


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