恋を知らないきみへ
今度は営業部長がおもむろに一ページ目を開く。

高瀬家の、由佳さんの言葉。
『前よりはちゃんと回せる気がする』

そこを指差した。


「俺、この言葉好きなんだよ。これ、一番インパクトある」

思わず私も同じ資料のそのページを見る。

マーケ課長もほぼ同時にうなずいた。

「だからこそ、もったいないですよね」

「うん。この家族だけで終わらせるには惜しいね」


営業部長はペンを置いて、少し前のめりになって私に向き直った。

「小関さん。午後、オーナー向けイベントで展示場に行ける?」

「はい」

すぐに反射的に返事をしていた。

「よし。だったらあと五組。同じテーマで聞いてきて。"住み始めてから良かったこと"だけでいい」

私は部長の言葉を漏らさぬように急いでメモを取る。

「高瀬さんと同じ空気が他にもあるなら、それが武器になる。……今日中にできる?」

「はい。やります」

即答した私の隣で、木ノ下くんも修正点を書き留めていた。


今度はマーケ課長が続くように「木ノ下くん」と呼びかける。

「はい」

「数字の裏付けも、もう一段厚くしてくれる?競合だけじゃなくて、生活動線とか共働き世帯のデータも拾えると思う」

「分かりました。探します」

彼も迷いのない返事だった。


部長と課長からの言葉は、このブランドの立ち上げがそう簡単にできあがる軽いものではないことを示しているように感じた。


でも、怒られているわけじゃない。
否定されているわけでもない。

もっと良くなるから、もっと作れ。

……そう言われている。


営業部長は時計を見て立ち上がりながら笑った。

「ここまで作れたなら、あと少しだ。だから妥協しない。これは絶対条件」

マーケ課長も資料を閉じる。

「期待してる」

その一言だけ残して、二人は会議室を出ていった。

会議室の扉がバタンと閉まる。


< 75 / 93 >

この作品をシェア

pagetop