恋を知らないきみへ
───しばらくの間、静寂が訪れた。


二人の足音が聞こえなくなったあたりで、私は思い切り椅子にもたれかかった。

「……生きた心地、しなかったぁ」

するっと本音が出てしまい、それでもつぶやかずにはいられなくて。

つい隣を見てしまった。

隣では木ノ下くんが資料をまとめながら、いつもの落ち着いた声で言った。

「思ったより通ったね」

「……え?どこが?」

まさかそう来るとは!驚いてすぐに聞き返す。

彼は私とは逆で、どこかほっとしたように息をついていた。

「全部やり直しじゃなかったじゃん」

「待って、その基準なの!?」

「うん」

どうやら木ノ下くんは本気らしかった。

もうタブレットを操作しながら、資料にもボールペンでせっせと何かを書き込んでいる。

「修正点も見えてるし、今日で終わる」


あまりにも早すぎる切り替えに、私は堪えきれなくて吹き出してしまった。

「もしかして、部長たちに色々言われてる時に直すところ全部考えてた?」

「うん、そう。今日修正して、明日再提出できそうだなって」


そう言って資料を抱えた木ノ下くんは、ごく自然な口調で続けた。

「昼、どうする?」

「え?」

「社食行くけど」


一瞬だけ心臓が跳ねた。

……違う違う、仕事だってば。


動揺している私をよそに、彼は立ち上がってイスを片付ける。

「修正点、整理したいから。食べながら話した方がよくない?午後から展示場行くんでしょ」

当たり前に、やっぱり仕事だった。
こんなことで動揺した自分がおかしい。

「……うん、行く」


私のその返事を聞いて、木ノ下くんは「じゃあ行こ」とだけ言ってさっさと歩き出す。

私も急いでその背中を追いかけた。




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