柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―

《三》徴

 周囲は、完全に白一色に染まりきっていた。
 深い霧に沈んだ空間には、さっきまで見えていた古い壁も窓も、大きな(ひび)の入った床も、なにも残っていない。どれほど目を凝らしても、それらの形を見出すことはもうできなかった。

 深い霧、あるいは靄。白く燻る景色の中、尊さんは一定の位置を凝視したきりだ。
 視線の先を追っていいのか一瞬迷った。「立てますか」と耳元で問われ、こくりと頷き返す。そして床に足を下ろしたと同時、ついに私はそちらへ視線を向けた。

「ッ、ひ」

 喉が乾いた音を立てる。
 靄の中心が濃くなり、人の輪郭を形作っている。咄嗟に声が零れてしまったけれど、それが幽霊や化け物でないことは直感的に理解できた。

 やがて完全な人の形を成したそれは、尊さんと同じ顔をした男の人だった。
 身に着けている袈裟の形まで一緒だ。お勤めを終えて本堂から引き上げてくる尊さんと同じ格好……ただ、色が違う。ふたりの纏う色だけが。

 靄の男は、藍色に金の刺繍が施された袈裟を着ている。対する尊さんは、深い臙脂に銀の刺繍の袈裟姿。異なる色を映し出す鏡でも置かれているかのようだ。でも。
 現れた男の髪と目は、どちらも漆黒だ。それも私の視覚を惑わしては不安を煽る。

『双子の兄は普通の黒髪で、目もこんなじゃなかったんだ』

 いつかの尊さんの言葉がよぎる。
 まさか、この人は。

『ふざけているのか、尊。早くその女を寄越せ』

 声まで同じだ。
 けれど、言葉遣いも侮蔑が宿った声音も、尊さんのそれとは似ても似つかない。
< 101 / 185 >

この作品をシェア

pagetop