柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 気づくと、細い雨音すら聞こえなくなっていた。
 白い空間をさらなる混沌へ沈ませる完全な沈黙、それを裂いたのは尊さんだった。

「勝手を言うな。妬んでいたのはあんただろう」
『……なに?』
「知ってるはずだ。あんたの力は、僕のそれには及ばない」

 一瞬、靄がふるりと揺れて見えた。
 チリチリと焼け焦げるような緊張が、直に肌へ伝わる。

「徴はすべてではない。だが、力を測る秤にはなる。だからあんたは僕の徴を狙った……怖かったんでしょう? そんなことをしても、そのせいで僕の力が弱まるなんてあり得ないのに」

 相手がにわかに押し黙る。
 男は鋭い眼光で尊さんを睨み続けている。流暢に動いていた口は固く閉ざされ、私はその顔をどこか他人(ひと)(ごと)のように眺めていた。

「忘れた? 先に刺されたのは僕だよ」
『……黙れ』
「見えたんでしょう、あんたが知らない間に大きく育った僕の徴が。あんたはそれを狙って掻き切った」

 大して開いていない距離の先から、ぎり、と歯を噛み締める音がした。
 彼が尊さんに向ける視線にはますます剣呑な気配が滲み、私までそれに絡め取られてしまいそうだ。毒蛇のごとく執拗に尊さんを追い詰める彼のその毒に、私こそが冒されていく。

 そのとき、掴まれていた手を唐突に放された。
 無理に抑え込んでいた不安が溢れ出す。腕が体温を失い、やがて全身が凍りついてしまうのではと、馬鹿げた考えが頭を掠める。
 激情に染まる尊さんの顔を初めて見た。荒れた感情を迸らせながら、彼は今、実の兄へ獰猛に牙を剥いている。

 ふたりが交わす話のどれも、私には想像すら及ばない。
 絵馬の伝承、痣、刀傷。多少なりとも見聞きしていた内容ばかりなのに、ふたりの話はどこかお伽話めいていて、私にはついていけない。これ以上ついていくのが怖かった。

 なにがここまで私から現実味を奪っているんだろう。
 ああ、そうだ。さっきお兄さんが口にした、百二十年前という言葉だ。
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