柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
『尊……お前』
「禁忌を犯すとか誰かを殺すとか、そういうことに心を痛める必要がなくなった。だってどれだけ心を砕いたって変えられなかった。どいつもこいつも、手を貸すどころか邪魔しかしてこない。元々弱りかけてて、それも全部壊れた。あんたと藍のせいで、全部」

 藍。またその名前だ。
 それに今、尊さんはなんと言った?
 人を殺した? 尊さんが?

「僕が明日名を殺して、絵馬に僕らふたりの名前を書いてこの世から消えてしまっては困る……だから今日現れたんでしょう? 百二十年、一度も姿を見せなかったくせに」
『黙れ』
「生きた人間でなければ絵馬に名を記せない。だから、僕にあんたと藍の名前を並べて書いてほしくて仕方なかったんだよね。死後婚を成立させられる人間は、今となっては僕だけだし」

 追い詰める側と、追い詰められる側。
 ふたりの立ち位置は、さっきまでとは完全に逆だ。

「書くわけがないだろう。さんざん人を追い詰めて、苦しめておいて……僕があんたの幸せを望むとでも思ったか」

 淡々と兄を追い詰めていたはずの尊さんは、いつしか笑っていた。
 口元を緩ませる彼が、一瞬知らない人に見えた。喉が乾いた音を立てて、それが自分の発したものだと一拍置いてから思い至る。

 護さんは、殺そうと思って刃を向けた尊さんから、誤って逆に刺されて命を落とした。護さんは藍という女性に想いを寄せていて……尊さんの言葉通りに受け取るなら、ふたりは同時期に命を落としたということか。
 護さんは死んでなお実弟の精神を揺さぶり続け、一方の尊さんは、結果的に護さんの意に沿う形で寺院を潰した。絵馬を使って人の命を奪いながら。忌み嫌っていた方法に、自ら手を染めながら。

 ようやく、からくりの正体が見えてきた。
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