柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 百二十年。護さんはそう言った。
 尊さんは、そんなにも長い間ここで生きてきたのか。当時の姿のまま、この梅雨の寺院の中でたったひとり、お兄さんに恨まれながら、お兄さんを憎みながら、ずっと。

 触れ合う指からは、いつしかお互いに力が抜け落ちてしまっていた。
 漂う空気を震わせるほどに低く、また怒りに満ちた声をあげていた尊さんは、けれど指先には激情を滲ませていない。空恐ろしくなった私は、自分の指を彼の長いそれへ絡め直す。
 尊さんがゆっくりと私に向き直る。指を放されそうになり、私はいやいやをする子供のように首を振りたくる。そんな私に困り顔で笑いかけた尊さんは、やがて静かに口を開いた。

「放してください、明日名」
「っ、尊さん」
「今の話で分かったでしょう。僕は人殺しだ。これは正しい行いだと自分に言い聞かせながら、好き勝手に人を殺めて……やっぱり、君はこんな穢れた手に触れてはいけないと思う」

 滔々と語る声は、いつかと同じだった。
 絵馬伝承にはなんの確証もないと話していた声と――人殺しのために絵馬伝承を利用しようとした馬鹿な私を優しく諭してくれたあの日の声と、同じ。

 違う。違う。そんなふうに言わないで。
 それなら、どうしてあなたは私に触れた? どうして私を抱いた? あんなに苦しそうに私の首に手をかけて、それでもあなたは殺してしまえなくて、泣いて……あの涙が嘘だったなんて、私は絶対に信じない。

『僕も明日名が好きです』
『いつかちゃんと、きちんとしたものを渡すから』
『君がいなくなったら、僕は』

 いつだって泣きそうな声で紡がれていたあなたの言葉が、全部嘘だったなんて、私は。
< 119 / 185 >

この作品をシェア

pagetop