柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 よぎった疑問は、頬をなぞる指の感触のせいで霧散してしまう。
 尊さんはもう、懐かしむ目で私を見てはいなかった。普段と変わらない、穏やかで優しい視線を向けてくれている。

 尊さんは、私の中に澪を見ているわけではない。
 そう理解した途端、頭の中に膨大な音が流れ込んできた。

「あ……っ」

 反射的に目を閉じると、瞼の裏に鮮明な映像が浮かび上がってくる。
 さっき覗いた澪の記憶とよく似ていた。ただ今度は、澪のときのように、自分がその人物の中に入り込んでいる感じではない。例えるなら、斜め上の辺りから場面全体を俯瞰している感覚に近かった。

 さっきは澪の記憶を垣間見た。
 なら、今度は。

 頬を押さえる子供が見える。齢は十歳前後だろうか、小柄な男の子だ。見覚えのある面影を宿した少年の髪の色は、黒ではなく、濁って見える灰色……尊さんだ。
 彼の前には、握り拳を作る初老の男性がひとり。男は怒鳴り声をあげ、握った手を再び高く振りかざした。
 思わず目を瞑る。怖い、痛い、もうやめて――心の声が、濁流のように私の頭に流れ込んでくる。轟々(ごうごう)と渦を巻いては心臓を震わせる、痛いくらいの悲鳴だった。

 そのとき、ばん、と大きな音がした。
 勢いに乗せて扉が開いた直後、叫ぶような制止の声が響き渡る。

『おやめください父上! 尊がなにをしたというのです!!』

 重い衝撃を覚悟していたらしい幼い尊さんは、驚いた様子で目を見開いている。
 蹲る尊さんを背に庇って『下がってろ』と口にしたのは、尊さんと同じ顔の子供だった。

 黒い髪、黒い双眸。護さんだ。
 やはり、これは尊さんの記憶なのだ。
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