柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 ここを訪れるよりも前から、彼女は怪我をしていたのだ。
 重い物を持たせなかったか、無理をさせていなかったか、身体が固まる一方で頭ばかりがあれこれと回る。言われてみれば、手首を庇うような仕種をよく見せていた気がする。今頃思い出しても仕方がないのに。

 やがて、君は涙を零しながら本当のことを教えてくれた。
 僕のすべてが塗り変えられてしまったのは、後になって思い返せばあのときだった。

 薬湯を作ること自体が久しぶりだった。百年以上前に身につけた、腐りかけの技術と知恵。それがまさかこんな形で活きるなんて、前日までは思ってもみなかった。
 できあがった薬湯を試しに一滴舐めてみると、吐き気がするほど苦かった。けれど、君はそれを、まるで砂糖水でも飲んでいるようにこくこくと喉を鳴らして飲み干して、そしてまたひと粒涙を零した。

 止められなくなりそうだった。その傷をつけた男を見つけ出し、八つ裂きにやりたい。心底そう思った。
 いっそ、明日名の本来の願いを叶えてあげれば良いのではないか。死者と生者の名を一枚の絵馬に記すことは、僕にとってすでに忌むべき行いではない。何度もその方法で、邪魔者を――人を殺めてきた。
 久々に湧いた強い感情に呑まれ、制御の(たが)が外れそうになった途端、派手な耳鳴りが脳髄を貫いた。

『なにをしてる、早く寄越せ』
『藍は渡せないとお前が言うから、その女で良いと言ってやってるのに』

 眩暈がした。
 兄の声は、明らかに楽しんでいる様子だった。僕が明日名を渡したくなくなっているこの状況を。

 奴はわざと明日名を選んだのかもしれない。
 久々に顔を合わせた人間、それも女性である明日名に僕が惹かれるだろうことを初めから想定していて、実際にそうなった今、僕を苦しめるために彼女を寄越せと言いながら嗤っている……あり得ない話ではなかった。
 単に藍に似ているから選んだのだと思っていたが、それ自体が誤算だったらしい。
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