柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
「書いてあげる。僕が望んでる人は藍じゃないし、藍は藍で、多分あんたの傍にしか行きたがらない」
『あ……』
「その代わり、明日名は絶対に渡さない」

 言いながら、もしかしたら護も引くに引けなくなっていただけなのかも、と思う。
 護が少しも気づいていなかったとは思えない。正確な時間の経過までは追えなくても、これほどの月日が経っている。藍がかつての姿のまま此岸に留まっていると考えるのは無理がある。

 では知ってなお、護が黄泉へ渡ろうとしなかったのはどうしてか。
 もちろん復讐のためだ。兄が僕に剥いた牙の鋭さは理解できている。だが、それだけではないのでは……そう考えたくなっている以上、大概、僕もこの茶番に疲れきっているのだと思う。

 疲れて、投げ出したくなって、けれど別に投げ出しているわけではない。
 こんな終わりへと僕を導いてくれたのは、他の誰でもない明日名だ。僕が、生涯で唯一愛したひと。

 噛み切ることで血を滲ませた指先を、絵馬の上に滑らせる。
 護と藍の名をそこに刻んでいく。深すぎる復讐心ごと、この世から、僕から、護を切り離していく。

『護兄さま……探したわ、こちらにいらしたのね。ほら、もう行きましょう?』

 ――これからは、藍がずっと、お傍におりますからね。

 絵馬に名を刻んだ後、ほどなくして藍が姿を見せた。
 兄の手を取った藍は、姿が薄まっていく中、最後に僕に視線を向けた。

『ありがとう。尊兄さま』

 この状況で、よくそんなことを言えたものだ。意図的に藍を護から引き剥がしていたのは僕なのに。
 そう、藍は本当に、幼い頃から純粋で素直な子だった。
 藍の視線は、最後の最後に明日名へ注がれたらしい。ふわりと微笑んだ藍は、それきり、護と一緒にふつりと消えてしまった。

 涙で頬を濡らした護を連れ、この世のどこからもいなくなってしまった。
< 180 / 185 >

この作品をシェア

pagetop