柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 別にいいのではないか。
 旅館に戻って宿泊したところで、明日以降の予定はない。そもそも、漠然とこの寺院を目指してきただけだ。当初の目的を諦めた今、急ぎで行うことはなにもない。

 会社も退職している。
 数日くらいなら、別に。

 普段の自分なら、きっとそんなふうには考えなかった。初対面の男性に唐突に住み込みでの手伝いを頼まれ、それを後先も考えず了承しようなどとは、絶対に。
 けれど、日常から切り離された数十分間の非日常が、私にそれを言わせてしまった。

「分かりました。数日程度であれば」

 ぽたり。
 傘から零れ落ちた雨粒が、妙に大きな音を立てて落ちていく。窺うように傘の隙間から視線を向けると、黒い傘がゆっくりと斜めに傾けられるさまが見て取れた。

「よろしいんですか?」
「は、はい。しばらくは特に予定もありませんし」

 自分から切り出しておいて、なんとも意外そうに尋ねてくる。
 今からでも断ろうかと迷ったけれど、そんな内心とは裏腹に、首は勝手に縦に動いてしまう。

 細い雨の向こう側に、安堵したような、それでいてどことなく諦めたような、なんともいえない表情を浮かべた彼の顔が覗く。
 続いて聞こえてきた声には、先ほど感じた性急さはもう宿っていなかった。

「ありがとうございます。では……ああ、まずはお名前を伺っても?」

 訝しく思っていたどれもが、曖昧さを残しながらぐにゃりと歪む。
 傘の隙間から覗く穏やかな微笑みに引きずられ、私は促されるままに口を開いた。

明日名(あすな)です。川島(かわしま)明日名」



     *
    ***
     *



【地雨(じ-あめ)】
あるきまった強さで、長く降りつづく雨。梅雨期などの雨。
(精選版 日本国語大辞典より引用)
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