柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 山奥にひっそりと開かれた、彼岸と此岸の狭間を縫い留める地。
 私は、その寺院の跡継ぎであった。

 死後婚の儀を正しく執り行える者は限られる。それができる者を、我々の一族は祭祀者と呼んでいた。当時の祭祀者は母ひとりであり、すべての儀を母が執り行い、その成否を見極めていた。
 住職を名乗っていたのは父だ。しかし、父の力は母のそれより随分劣っていたらしい。父自身はそれを恥と考えていたようで、そうした話題を自ら口にすることはなかった。

 私は、母の力を強く受け継いだ。それも後天的に。
 当初は、私と同時に生を受けた双子の兄にこそ才があると言われていた。母は齢十六で私たち双子を出産したが、産後の肥立ちが芳しくなかったという。以後は子を望まぬほうが良いと判断され、結果的に、跡継ぎは兄か私の二択となった。

 より強大な力を持つ者が寺院を担い、死後婚を担う。それが我が寺院における絶対的な規則だ。
 跡継ぎには兄を。それは一族の重鎮たちが一堂に会する席にて決定した揺るぎなき事項であったが、母だけは決定の寸前まで反対を続けたという。重鎮たちに己が意見を一蹴された母は、結局、最後には折れる形で周囲の意見に倣ったそうだ。だが。

 死後婚の儀に、母はよく私を立ち会わせた。回数のみを考えるなら、兄よりも私を伴って儀に臨むことのほうが多かった。
 最初の立ち会いの際、この世ならざる者たちの声を聞き取った。そして、回を重ねるごとに、彼らの意をより明確に汲み取れるようになっていた。
 私が兄よりも容易にそれらを成した事実は、重鎮たちにとって看過できぬ要素であったようだ。彼らとて、曲がりなりにも彼岸と此岸を繋ぐ力を継承する一族の者として生きているわけだから、当然といえば当然かもしれないが。

 兄に決定していた跡継ぎは、私たち双子が十八歳になった年の暮れ、とうとう私に変更された。
 ところが、残念ながら私には、寺院を受け継ぐ者として最も重要な素養が致命的なまでに欠けてしまっていたらしい。
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