柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
 九歳の年に事故で両親を喪い、その後は隣町に住む父方の祖母に引き取られた。唯一の肉親であった祖母も、私が十七歳のときに他界した。
 天涯孤独となった私は、ますます〝家〟という概念から懸け離れた生活を送らざるを得なかった。それもあってか、今は目に映るすべてが新鮮だ。

 麓の旅館に預けてあった荷物は、住み込みを承諾した翌朝、割り当ての部屋に届いていた。旅館側が届けてくれたのか、もしくは彼が引き取りに向かってくれたのか……お礼を告げたときに笑っていたから、わざわざ取りに行ってきてくれたのかもしれない。
 大した荷物が入っているわけではなかったけれど、数日間をこの場所で過ごすなら着替えだって必要だ。なにより、半日ほど途絶えていた痛み止めの薬を口に放り込めて、私は心底ほっとしていた。

 服は、事前に伝えられていた通り、女性物の着物を用意してもらった。
 普通の服がないとは想像していたものの、かといって、着物を差し出されてすぐにそれを着られるかと問われれば答えはノーだ。自分で和服を着付けた経験はない。
 なにより、仕事をする際に動きにくかったら本末転倒だ。だから、服だけは旅行鞄に詰めてきた自分のものを着ている。

 着物を借りたいと思えなかった理由は他にもあった。この場所を訪れてからというもの、別世界に迷い込んだような不可思議な感覚が、ずっと心にのさばっている。これ以上そんな気分に呑み込まれたくない、という気持ちが大きかった。
 腕時計もスマートフォンも使い物にならない今、せめて自分の荷物や服だけでもいつも通りにしていないと、瞬く間に独特の雰囲気に呑まれてしまいそうだったのだ。

 慣れた服装のほうが動きやすいから、と伝えると、彼も納得してくれた。その上に割烹着を羽織った姿が、今の私の日常的な格好だ。
 昔の女中さんみたいだ。けれどそうした心境も、七分丈のデニムレギンスと白の半袖カットソーという自前の衣服によってだいぶ緩和される。服までは借りなくて良かった、と心から安堵してしまう。
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