柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
『お前みてえな馬鹿、俺以外の男に相手にされるわけねえだろ』

 仕事をせず、家事もせず、家賃や生活費を折半するでもない。その手の人間を世間一般ではヒモと呼ぶ、そう考え至ったのはあの男が私の部屋を去った後だ。

 普段通り仕事を終えて帰宅した晩、男の筆跡とは異なる手紙がテーブルに置いてあった。
 妊娠した、彼の子だ、あなたにあの人は渡さない、消えて……云々。

 馬鹿馬鹿しかった。手紙を残した相手よりも、簡単に騙された自分のほうがずっと呪わしかった。
 死ねばいいと心の底から思った。それは、あの男に矛先を向けた感情というよりは、自分自身に対して抱いたものなのかもしれない。くだらない男に騙されては傷ついて、私は目も当てられないほどの大馬鹿者だ。

 あの男はこの部屋で別の女を抱いたのだろうから、同じ部屋では暮らしていられない。それに、同じ職場にももう勤めていたくなかった。男に〝働け〟と言われ続けた日々を、嫌でも思い出してしまうからだ。

 不要な記憶を連想させるすべてから、解放されたくて仕方がなかった。

 男にぶつけられたのは、言葉の暴力だけではなかった。
 なにを言われても言い返そうとしない私の態度が、逆に(かん)に障ったらしい。別れの直前には、服を着れば見えなくなる場所を中心に、男は頻繁に私に手を上げるようになっていた。

 腕、腹、背中、大腿。男が姿を消して半月、いまだに残る傷痕や痣も多い。その中で最も色濃く痕の残っている部分が、左腕――手首から肘にかけてだった。
 薬を飲めば、痛みはある程度引く。打撲傷も、やがては消えて普通の肌色に戻るだろう。けれど、絶対に消えないものが残る。

 それを消し去ってやりたかった。
 あの男の存在ごと、愚かで惨めな私ごと、全部。
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