柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
『踏み込んだことを伺うようですが、どなたかとつらい別れがあったのでは?』

 初めてここを訪れた日、絵馬の話を切り出した私に、遠慮がちに尋ねてきた彼の言葉を思い出す。
 愛する人の死を嘆き、絵馬にその人と自分の名を書きたいと願う、そういう人がときおり訪れると彼は言った。けれど私はそうではなかった。私が絵馬に託そうとした願いは、醜く、また大いに歪んだものだ。

 私を傷つけた男に、不幸な死をもたらしてやりたい。
 そんな理由で絵馬の奉納を願ったこと自体、この寺院を守り続けている住職さまにとっては侮辱でしかない。

「いつから知ってたんですか。今知ったってわけじゃ、ないですよね」
「……はい」
「ごめんなさい。私、ひどいこと、考えてました。あんな奴、死ねばいいって思ったんです。憎くて憎くて、仕方なくて、ずっと」

 掠れ声での私の(ざん)()に、住職さまは口を挟まなかった。
 生ぬるい水滴が頬を伝ったけれど、声は出なかった。涙が零れるばかりで嗚咽は漏れない、そんな泣き方をするのは生まれて初めてかもしれなかった。
 激しい感情が伴わない涙は、零れて、落ちて、床を汚すだけ。私の身体を離れ、そして最初からなにもなかったかのように消えていく。

 つらそうに歪んだ住職さまの顔が、霞んだ視界に映り込んでくる。
 どうしてこの人がこんな顔をするのか、とぼんやり思う。同情されているのかもしれない。けれど、それならそれで構わなかった。心根の歪んだ醜い女だと嫌われるより、そのほうがずっといい。
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