柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
〈手記・二〉

禁忌

 寺院の跡継ぎは、私たちが五歳になった年、兄に決まった。
 当初こそ兄しか選び得なかったという。だが、私たちの成長とともに徐々に逆の論調が勢いを増し、我々が十八歳となった年にとうとう決定ごと覆された。

 住職と祭祀者は、我が寺院において厳密には別扱いである。
 父と母の例が分かりやすい。父は住職、つまり跡継ぎとして寺院の行事から財政までを統括する立場にあり、一般の檀家の葬儀や法要などには父が出向いた。一方、死後婚――我が寺院の裏の顔であり、またある意味では生命線とも呼べるであろう儀については、そのすべてを母が祭祀者として統括していた。

 父と母は、親子かと見紛うほどに齢が離れている。住職と祭祀者の両方を担っていた先代、その嫡子であった父には、成人を過ぎても望ましい連れ合いが見つからなかったという。
 母が優れた力を持って生まれ、間もなくふたりの結婚が約束されたものの、正式な婚姻は母が(よわい)十五になるまで結べなかった。その十数年の間に身体を壊した先代が、住職の役のみ先に父へ譲り渡した。母は十二になった頃、やはり先代から祭祀者の役を引き継いだと聞いている。

 それぞれの職務が別とはいえ、ふたつの職はひとりの人間が継承するのが常。
 そういった考えが浸透していたため、父と母の例はいささか特殊であったようだ。

 ふたりが正式に婚姻を結んだ後、周囲の人間たちは父に、より高い能力を有する母へ住職を譲るべきではと囁いたらしい。
 だが、父は頑なにそれを拒んだ。寺院内の決めごとを取り仕切る一族の重鎮――十人あまりの老人たちも、苦渋を滲ませながら父の意を汲んだそうだ。

 さまざまな理由が挙げられたようだが、要は母が女だから、すべてはそのひと言に尽きた。
 男を重んじ、女を軽んじる風潮は、古くから我が一族の中に根強く息づいている。
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