柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―

《二》狐につままれたような

 乱れた呼吸が元の調子に戻るより、そして助けてくれた男性に気を回すよりも先に、私は目の前に広がる光景に言葉を失っていた。

「え?」

 石段の上に広がっていた寺院の敷地は、確かに古めかしい雰囲気を漂わせてはいたけれど、話に聞いていたほど廃墟然としてはいなかった。
 特に、本堂……と呼ぶのだったか。荘厳な門構えと瓦屋根の立派な建物を目にする限り、人が寄りつかなくなって久しい廃寺といわれてもピンとこない。
 手前に広がる広大な敷地にも、草が節操なく生い茂っていたり、崩れた建物の残骸が転がっていたりといった、見捨てられた土地特有の荒れや(わび)しさは見受けられない。

 もう少し、荒れ果てた場所を想像していたのに。
 拍子抜けした私の口から、はぁ、と間の抜けた呟きが零れ落ちる。

「立てますか? そちら、お持ちしますよ」
「え……あ、はい。すみません」

 傍に立つ男性に手を差し伸べられ、一瞬、なんの話をされているのかと戸惑ってしまう。
 彼の視線がお婆さんの商店で買った品物に向いていると気づき、私は慌ててそれを差し出した。
 爪が手のひらに食い込むほどきつく握り締めていたビニール袋の取っ手を放すと、ようやく指先に感覚が戻ってくる。何度か指を開いたり閉じたりした後、いつの間にか地面に放られていた傘の存在に気づいた。

 それを手に取りながら、私は静かに立ち上がる。

「ええと、ありがとうございます、助けてくださって」
「いいえ。お怪我がなさそうで良かった」
「……失礼ですが、あなたは?」
「ここの管理をしている者です」

 管理、と(おう)()返しした私を、男性は穏やかな表情で見つめ返してくる。
 柔和な声には、冗談の気配は少しも含まれていない。思わず、私は傘を持っていないほうの手で額を押さえた。
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