柩雨夜 ―終わらぬ梅雨、願わくば君に愛と枷を―
     *


 兄が乱心したのは、我々が二十三になった年。
 藍が齢十五となる年を待って執り行われる手筈となっていた婚姻の儀、その前夜のことだった。

 見慣れぬ黒装束を纏って私の寝室へ踏み込んできた兄は、無言で小刀を振り回し始めた。
 驚く間もなかった。光源は蝋燭が生む淡い明かりのみ。空を切って舞う刃先を前に、身を守る術が咄嗟に思い浮かぶわけもなく、とにかく心臓がどうどうと騒がしかったとだけは鮮明に記憶している。
 兄の刃は私の着物をやすやすと裂き、薄く喉を掻き切った。そこから流れ出た血が着物の布地を濡らしたが、傷口は痛むというよりただただ熱かった。

 殺されると思ったそのとき、兄の視線が私の首……否、鎖骨の下に向いていると気づいた。
 裂けた着物の隙間から覗いていた鎖骨、その下。
 兄は見たのだ。かつて地肌とろくに変わらぬ色をしていた私の徴が、己のそれよりも遥かに大きく、そして色濃く育っているさまを。

 兄のかざす刃先は、途端に私の徴へ向いた。
 狙いを定めた兄の刃先に、すでに迷いがあるはずもない。逃げる隙も暇もなく、私はあえなく徴ごと深々と抉られた。喉を切られたときとは比較にならない、灼けつくような激しい痛みに襲われ、己の耳をも(つんざ)くほどのけたたましい悲鳴が口をついた。

 ふうふうと続く荒い呼気は、私と兄、果たしてどちらのものであったか。
 高く振り上げられた刃が、暗がりの中にありながらも妙に色濃く視界に映り込み、ああ、これで終わりかと諦念が滲んだ。

 この五年、私はなにひとつ成し遂げられなかった。

 寺院をあるべき姿に戻したいという、その志ばかりは大層だったかもしれないが、結果的になにも変えられていない。
 結局、先代たちの言いなりになるしかなかった。己の妻すら自由に選べず、そのせいで、今度は妻となる相手を深く傷つけることになる。
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