藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
 すると彼は一瞬考えた後、口を開いた。
「あれは院の時の先輩だ。海外でしか手に入らない業界紙をお持ちだったからそれを受け取りに会っただけだ」
 途端に藍の中のもやもやが晴れていく。
「そうなんですね……」
 なんだ、と思ってほっとすると、思わず笑みが漏れた。
「よかった……」
 思わず心の声が漏れると彼が意外そうに眉を上げる。藍は慌てて取り繕った。
「あ、えーっと、その……。な、なんでもないです」
 あわあわと言っていると、ふっと彬の眉間の皺が緩んだ。
「……そうだな。知り合いならふたりでカフェくらい行くか……。冷静に考えたらそうか」
 何度も咳払いをして、なにやら呟いている。
 そしてもう一度藍を見て、恐る恐るといった様子で確認する。
「……本当に、彼とはなんでもないんだな?」
 その声からはさっきまでの不機嫌さは消えていた。
 代わりになにか藍の胸をふわふわさせる甘さを帯びているような。そうではないような。
「はい……」
 どうしてか、気恥ずかしくなりながら、頷くと、彼は「ならいい」と答えた。
 なにやら顔が赤いような気がするのは気のせいだろうか。しかもなぜかちょっとしゅんとしているようにも見える。それを珍しく思いながら見ていると真摯な視線で見つめられる。
「きつい言い方をしてすまなかった」
「それは、全然……気にしないでください。でも私、軽率だったと思うので今後は気をつけます」
 考えてみれば彼の方は業界誌を受け取るために会ったのだから、仕事だ。
 藍の方はプライベート、同じではない。
「彬さんの妻として恥ずかしくないように行動することを心がけます」
 心を込めてそう言った。
『形だけの妻』というべきところわざと省いてそう言ったのは、ちょっとだけ夢を見たいと思ったから。
 はじめての喧嘩は、形だけを見ると、まるでお互いに嫉妬をし合っているかのようで、本当の夫婦のようだった。
 だから少しだけ、その気分を味わっていたい。
 ——これくらいはいいよね。
 藍の言葉に、彬は一瞬目を見張る。しばらく沈黙したあと、かすれた声で「ああ」と言って頷いた。
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