藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
 それでいてそれ自体にも少し自信がないように思えて、そんな彼に藍の胸がきゅんと跳ねる。年上の人に失礼なのは承知だけれど、新しい顔を見た感じがして、可愛いと思ってしまう。
 胸にハート形の矢がトスっと刺さったような感じがしてこのままでは持ちそうにない。
 よろよろしながら席についた。
 夏野菜カレーには、スモークサーモンのサラダまで添えてあり、藍の好きなミニトマトがたっぷり載っている。
「美味しそう!」
 声をあげると、向かいの席に座ってる彼がふっと笑う。
 また胸にトスっと矢が刺さり、もうどこを見ていいやらわからない。俯いて手を合わせて食べはじめた。
 カレーはスパイスが効いていて美味しかった。
 これを市販のルーを使わずに作ったと聞いて驚くが、彼の方は顔をしかめている。
「ちょっと水っぽい、失敗だな」
「ええ⁉︎ 美味しいですよ? これで失敗ってどれだけ完璧主義……」
 あとでレシピを聞こうかと思ったくらいなのに、と愕然とする。そしてにわかに心配になった。
「彬さんそんなにジャッジが厳しいなら、私が作った料理はどんな気持ちで食べてたんですか。結構失敗もあったのに。これから食べてもらうのが、恐ろしいです」
 どう考えてもこのカレーには及ばないのに、これを失敗と言わないでほしいと思っていると、彼はスプーンを止めて考えた。
「そういえば君が作る料理はそんな風に考えなかったな。無事かどうかが気になってそれどころじゃなかったのかも」
 そしておかしそうに笑い出した。
「ほっとして、安心して食べるから美味しかったよ」
「も、もう……。どれだけ心配なんですか。大げさ」
「いや、そんなことはない。あの頃の君はひどかった。まさか自覚がないのか」
「ありますよ」
 笑い合って話しをしながら食べる食事は、なんだか変な感じがした。
 今までも、食事の際はよく話をしていたけれど、それは藍の方がほぼ一方的に話をしてた形だ。
 彼の方は時折相槌を打つくらいで、それでも藍は楽しかったがそれと今は全然違っている。会話のキャッチボールがこんなに楽しいものだなんて。
「このカレー気に入っちゃった。レシピ教えてくださいね」
「ああ、ただ水加減を間違えないようにしないと、本来はこんなシャバシャバした感じではない。これじゃあまるでキャンプのカレーだな」
「キャンプのカレー!」
 魅力的な言葉に藍は反応する。
「そう言えば、はるちゃんが林間学校のカレーはシャバシャバだって言ってた! こんな感じかあ」
 いつか行ってみたいキャンプを体験できたと思うとちょっと嬉しい。
「キャンプは行ったことがないんだな?」
「はい。やりたいことリストにも入ってません」
「……それは珍しいな、なんでもやりたがる君が」
「やりたいんですけどね。ちょっとハードルが高すぎるかなって。旅行も頑張ってできるかどうかのレベルだし……。高望みはしない主義なんです」
 高望みしすぎると、現実との乖離に苦しむ。
 だから絶対に無理なものはリストから外す。楽しく生きるためのライフハックだ。
「まあ確かに、虫刺されも気になるし、気温調節ができないことを考えたら次の手術後に体調が安定してからのほうが望ましいか」
『次の手術後』という言葉に内心でどきっとして藍はサラダを突いていたフォークを止めた。
「キャンプといってもグランピング設備が整っているところもあるみたいだし、いつか行けるだろう。さすがにひとりで行かせるわけにはいかないから、その時は俺のつきそいが必要になる」
「彬さんの……?」
 まるで付き添ってくれるかのように彼は言う。
 驚くほど優しい言葉だが、素直に受け取ることができなかった。
「だ、だけど……。その頃は私と彬さんとの関係はなくなってますし……、あ、手術の後も気にかけてくれるのは嬉しいですが。そ、そこまでご迷惑をかけるわけには」
 自分でも驚くほど動揺して声が震えてしまう。カレーの上に浮かぶ、かぼちゃのスライスをじっと見つめる。
 彬がスプーンを置いた。
「聞いていいか?」
 尋ねられて顔を上げる。
「君は手術については……どう思ってるんだ?」
「どうって……?」
「その、受ける気はあるんだな? だけど初詣の時、絵馬に……手術のことを書かなかったから少し気になって」
 その問いかけに黒い不安がじわっと広がり藍はフォークを置いた。
 まさか手術に消極的なことを見破られているとは思わなかった。
 本音を言うと受けたくない。怖いからだ。
 機器が合わなければ、また病室に閉じこもる生活になる。そんなことになるくらいなら、このまま自由な生活をずっと続けていたいと思ってしまう。そのくらい今の状況が大切だ。
 もちろんそういうわけにはいかないから受けるつもりではあるが、なるべくギリギリまで引き伸ばしたいし、考えないようにしている。
 だから絵馬にも書かなかった。
「……もちろん、受けます」
 本当の……本当の願いは、"手術後も元気でいられますように"。
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