藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
 けれど将来、どうなるかわからないこんな状態では、告白なんてできない。だから手術を乗り越えたい。
 主治医からは、手術に向けた体力作りのプログラムを取り入れてはとアドバイスがあった。その方が適合率が上がるという研究データがあると言われて藍はやる気になっている。自由を満喫するのと並行して、取り組もう。
「藍は嫌がってたけど、お父さんの言う通り会ってみてよかっただろう?」
 彬と藍がすっかり本当の夫婦だと思っている父は上機嫌だ。
「まあね」
 本当の夫婦ではないけれど、少なくとも藍にとってはよかった。はじめての恋を知って、それによって将来の希望を描けるようになったのだから。
「ああ〜! ちょっと無理やりだったけど、ごり押ししてよかったなあ。彼が勘違いしてくれていたものありがたかった」
 そこでひとり言のように父が呟く。その言葉に藍は引っかかった。
「勘違い……?」
 なんのことだろう?
「実はね、彬くんがお父さんに会いに来たのは所属しているプロジェクトの資金についての相談だったんだ。なぜかうちの会社が減額するという噂が白川医科大の方で流れていたらしい。実際にはそんな事実はなかったんだが、まあそれは黙ったまま、彼の出した要求と引き換えに見合いの話をねじ込んだんだ」
 すっかり酔っ払っている父は、すらすらと話をする。
 うまくやっただろう?と言いたげだが、藍は同意できなかった。
 結婚の際、彼は資金の心配をすることなく、研究に没頭したいと言っていた。
 それが結婚の目的だったのに、そもそもそんな事実はなかったということ……?
「お父さん、彬さんを騙したの……?」
「騙したとは人聞きが悪いな。勘違いを訂正しなかっただけだよ。だけど結果オーライだろう? 出会いがどうであれ、すぐに籍を入れたいというくらいラブラブなんだから」
 そう言って鼻歌を歌いながら、再び飲む父はお猪口に酒を注いでいる。
 それ以上追求はできないけれど、内心は暗闇の中に落ちていくような心地がした。
 その後は、どんな話をしたか覚えていない。受け答えは相当おかしかったはずだが、父の方も酔っ払っていたから不審がられることなく食事を終えた。
 その日は、実家に泊まることになっていた藍は、混乱したまま自室へ行く。
 結婚の際に必要なものは持っていったが、いずれは戻るつもりだったからほとんどのものは残っている。
 電気をつけないまま、ベッドにポスンと横になり、薄暗い天井を見つめる。心はぐちゃぐちゃだった。
 彬に対して、申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
 結果オーライと父は言ったが、それはふたりが本当の夫婦だった場合。確かにそうだったなら、笑い話で終わっただろう。
 けれど現実はそうではなく、ふたりの間にあるのは利害関係のみ。
 藍は自由を、彬は資金を気にせず研究に没頭できる環境を、確保する為の結婚だった。
 それなのに、そもそも前提となる資金の心配がなかった。彼にとってはメリットなどなにもない結婚だったということだ。
 ——どうすればいいの……?
 しかも現状は、当初の約束から大きくはずれて、彼は藍の体調について相当たくさんの労力を使っている。それでも解消を言い出さないのは、おそらくすべて研究のためだったのに……!
 藍はぶるっと身体を震わせて、慌てて暖房をつける。
 この事実を彼が知ったらどうなるのだろうと、怖くてたまらなかった。
 怒る? それとも態度が変わってしまう?
 会社の事情を藍自身は知らなかったのだから、自分に怒りが向くことはない。それでも彼にとって藍になんの価値もなくなるのは確かだ。今度こそ確実に離婚だろう。
 もしそうなったら、自分はどうすればいいのだろう?
 気持ちを伝えるどころの話ではない……。
 クラシカルなデザインの照明を見つめたまま、藍は、近い将来起こりうると予想できるつらい出来事について考えを巡らせていた。
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