藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
抱き起こされて彼が手にしている経口飲料水をストローで飲む。パジャマは汗でぐっしょりと濡れている。
「とりあえず、検温して。俺は荷物を置いてくる」
枕もとに置いてある体温計を手渡すと、彼は部屋を出ていく。時計は午後八時を指していた。
ああ、やっちゃった。
体温計を脇に挟みながら、目を閉じると暗澹たる思いになった。
彼に熱があるのがバレてしまった……。
どうしてかそれが取り返しのつかない失敗のように思えて、絶望な気持ちになる。
きっと怒られる。
こんな迷惑ばかりかけて……もう結婚は止めるって言われちゃうかも……。
そうなっても文句は言えない。藍の体調不良はともすれば彼の責任になってしまうのだから。
鼻の奥がつんとしてあっというまに涙が溢れる。
目を閉じると再び泥のような世界に落ちていく。
『藍ちゃんはいつもおやすみだからきっと来られないよ。だから誘うのは無駄って思ったの』
あれは確か小学生の時、クラスメイトの誕生日会に藍だけが招待されなくて悲しくて泣いてしまった時のことだ。
面と向かってそう言われて、ひと言も言い返せなかった。陽菜と弥が怒って自分たちも行かないと言ってくれたけど、それがよけいに申し訳なかったっけ。
その後も嫌な記憶が次々に浮かぶ。
たいていのことは明るく笑ってやり過ごすようにしている。悲しいことも寂しい気持ちも胸の中に閉じ込めてしっかりと蓋をする。
そしたら笑えるから。
それが周囲の人のために藍にできる唯一のこと。
けれど熱が出ると、その蓋が開いてしまう。そして気持ちが溢れてしまうのだ。
ああもう嫌だと思った時、どこからかカタカタという音が聞こえる。
カタカタ、カタカタ。
なんだろう?
そう思う藍の額にひんやりとしたなにかがあてられる、それがとても気持ちいい。
額の冷たさを感じながら、その音に耳を傾けているうちに、ようやく藍は静かな眠り包まれた……。
次に目を覚ますと、部屋が少し明るかった。時計を見ると朝の六時。
頭はずいぶんスッキリしている。
——そうだ、途中で彬さんが帰ってきて……。
部屋を見回して目を見開く。
ベッドサイドに、彬が座っていたからだ。
簡易の椅子に座り腕を組んで寝ている。脇には簡易の机があってその上にノートパソコンが置いてあった。
信じられないものを見て、藍はしばし唖然とする。もしかして一晩中ついてくれていたのだろうか。
あの夢の中で聞いたカタカタという心地のいい音は、もしかしてキーボードを打つ音?
だとしたら、額に乗せられたあの大きな手も……?
自分の額に手を当てて考えていると、彼が目を覚ました。口元に手を当てて小さくあくびをしてから、問いかけられる。
「……気分は?」
「いいです。たぶん熱は下がったかと」
すると彼は身を乗り出して藍の額に手を当てた。
とくんと鼓動が飛び跳ねる。
少しひんやりとしたその感覚は夢の中と同じだった。
「そのようだな。念のため検温して。俺は、飲み物をとってくる」
水分補給をして熱を測り平熱であることを確認する。
「念のため、今日一日は寝ていなさい」
そう言われ、藍は再びベッドに横になった。
「ずっとついていてくださったんですか?」
布団から目だけ出して問いかける。意識がはっきりするにつれて、申し訳ない気持ちが込み上げた。
カタカタという音がキーボードの音だったのなら、彼は仕事をしながらそばにいたのかもしれない。
「君の健康管理は俺の役目だからな」
そっけない言い方はいつものことだが、今は胸に突き刺さった。
眠りにつく前に考えていたことを思い出す。
「念のため今週いっぱいは家でゆっくりしなさい。ボランティアも外出も来週からで。今週末は、料理のおさらいでもしてたらどうだ? 朝ごはんは食べられそうか?」
そう言って彼は立ち上がる。
藍はその彼の言葉に目をぱちぱちさせた。
意外すぎて、返事ができなくて黙っていると、悪い方に捉えたのか彼は眉を寄せる。
「……仕方がないだろう? 数日だから我慢しなさい」
「い、いえ……! そうじゃなくて! えーっと、もちろんおとなしくしています。でも……その……ボランティアも外出も、やめなくていいんですか……?」
「……やめたいのか?」
「い、いえ……!」
「とりあえず、検温して。俺は荷物を置いてくる」
枕もとに置いてある体温計を手渡すと、彼は部屋を出ていく。時計は午後八時を指していた。
ああ、やっちゃった。
体温計を脇に挟みながら、目を閉じると暗澹たる思いになった。
彼に熱があるのがバレてしまった……。
どうしてかそれが取り返しのつかない失敗のように思えて、絶望な気持ちになる。
きっと怒られる。
こんな迷惑ばかりかけて……もう結婚は止めるって言われちゃうかも……。
そうなっても文句は言えない。藍の体調不良はともすれば彼の責任になってしまうのだから。
鼻の奥がつんとしてあっというまに涙が溢れる。
目を閉じると再び泥のような世界に落ちていく。
『藍ちゃんはいつもおやすみだからきっと来られないよ。だから誘うのは無駄って思ったの』
あれは確か小学生の時、クラスメイトの誕生日会に藍だけが招待されなくて悲しくて泣いてしまった時のことだ。
面と向かってそう言われて、ひと言も言い返せなかった。陽菜と弥が怒って自分たちも行かないと言ってくれたけど、それがよけいに申し訳なかったっけ。
その後も嫌な記憶が次々に浮かぶ。
たいていのことは明るく笑ってやり過ごすようにしている。悲しいことも寂しい気持ちも胸の中に閉じ込めてしっかりと蓋をする。
そしたら笑えるから。
それが周囲の人のために藍にできる唯一のこと。
けれど熱が出ると、その蓋が開いてしまう。そして気持ちが溢れてしまうのだ。
ああもう嫌だと思った時、どこからかカタカタという音が聞こえる。
カタカタ、カタカタ。
なんだろう?
そう思う藍の額にひんやりとしたなにかがあてられる、それがとても気持ちいい。
額の冷たさを感じながら、その音に耳を傾けているうちに、ようやく藍は静かな眠り包まれた……。
次に目を覚ますと、部屋が少し明るかった。時計を見ると朝の六時。
頭はずいぶんスッキリしている。
——そうだ、途中で彬さんが帰ってきて……。
部屋を見回して目を見開く。
ベッドサイドに、彬が座っていたからだ。
簡易の椅子に座り腕を組んで寝ている。脇には簡易の机があってその上にノートパソコンが置いてあった。
信じられないものを見て、藍はしばし唖然とする。もしかして一晩中ついてくれていたのだろうか。
あの夢の中で聞いたカタカタという心地のいい音は、もしかしてキーボードを打つ音?
だとしたら、額に乗せられたあの大きな手も……?
自分の額に手を当てて考えていると、彼が目を覚ました。口元に手を当てて小さくあくびをしてから、問いかけられる。
「……気分は?」
「いいです。たぶん熱は下がったかと」
すると彼は身を乗り出して藍の額に手を当てた。
とくんと鼓動が飛び跳ねる。
少しひんやりとしたその感覚は夢の中と同じだった。
「そのようだな。念のため検温して。俺は、飲み物をとってくる」
水分補給をして熱を測り平熱であることを確認する。
「念のため、今日一日は寝ていなさい」
そう言われ、藍は再びベッドに横になった。
「ずっとついていてくださったんですか?」
布団から目だけ出して問いかける。意識がはっきりするにつれて、申し訳ない気持ちが込み上げた。
カタカタという音がキーボードの音だったのなら、彼は仕事をしながらそばにいたのかもしれない。
「君の健康管理は俺の役目だからな」
そっけない言い方はいつものことだが、今は胸に突き刺さった。
眠りにつく前に考えていたことを思い出す。
「念のため今週いっぱいは家でゆっくりしなさい。ボランティアも外出も来週からで。今週末は、料理のおさらいでもしてたらどうだ? 朝ごはんは食べられそうか?」
そう言って彼は立ち上がる。
藍はその彼の言葉に目をぱちぱちさせた。
意外すぎて、返事ができなくて黙っていると、悪い方に捉えたのか彼は眉を寄せる。
「……仕方がないだろう? 数日だから我慢しなさい」
「い、いえ……! そうじゃなくて! えーっと、もちろんおとなしくしています。でも……その……ボランティアも外出も、やめなくていいんですか……?」
「……やめたいのか?」
「い、いえ……!」