藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
 冷たい言い方と言われようと、これが彬にとっての誠実だった。
「しかし残念だなあ。君は、いい家庭を築けるタイプだと思うのだが」
 なおも大須賀が言う言葉に眉を寄せる。
 これは予想外だったからだ。
 今までの見合い話は、年収や社会的地位、それから容姿を目当てにしたものだった。その総合点から、性格面をマイナスしてそれでもなお、プラスだという、ただそれだけのこと。
『いい家庭を築ける』という評価はあり得ない。見当はずれもいいところだ。
 恩師は、大須賀は優秀なドクターだった、製薬会社を継いだのはもったいなかったと言っていたが、あれはお世辞だったのだろうか。
 あるいは大須賀が見合いを承諾させるために心にもないことを口にしたか……。
 とはいえ、答えは変わらない。
「いえ、買い被りすぎです。社長の話がそれだけなら、次は私が話をしてもよろしいですか?」
 尋ねると残念そうにする。
 だがすぐに、気を取り直したように頷いた。
「ああ、時間をとらせて申し訳なかったね。なんだい?」
「プロジェクトの件です。来年度の研究費を一部削減するという話は本当ですか?」
 一カ月前に三橋が言っていた時は噂レベルだったが、火のないところに煙は立たないというし、彬は念のため複数の教授に確認をとってみた。そしてどうやら話の出所は大須賀製薬の役員だったというのを突き止めたのだ。
 しかもそうなった場合のチーム編成については、白川医大側に選定を任せるという話があるという。
 もちろんそれでも自分のチームは残されるべきだと言い切れる。臨床実験に進める段階にあるチームから削るなどあり得ない。
 だが三橋の言う通り、至極真っ当な通りがしばしば通用しないのが医大の世界だ。
 人間関係、力関係、教授指名権の有無などに左右させて自分のチームが削られるという可能性も否定できない。
 実際、ある教授からは『今さらごまを擦っても無駄だからな』という言葉まで出た。
 このままでは新薬の実用化まで漕ぎ着けられないかもしれないと考えた彬は、こうして直談判にきた、というわけだ。
 昔の知り合いだというアドバンテージを利用してチームに有利な計らいを頼みにきたのではなく、チーム編成の選定を大学側に一任しないでほしいという要請だ。
 公平な条件で判断してもらえれば落ちない自信がある。
「資金……ああ、あの話か」
 大須賀が思い出したように呟いた。やはり噂は本当だったのだ。
 彬は前のめりになった。
「そのことでご相談があって参りました。資金の関係には口は出せませんが、チームの選定に関して大学側に一任するのではなく御社の方も関わってほしいのです」
「選定に……我が社が?」
「そうです。先日の報告でもあげておりますが、私のチームは他のチームより頭ひとつ成果が出ている状況です。ここで止めるわけにはいかない。この新薬を待っている患者がいるんです」
 人の寿命には限りがある。自分は無駄を省き有意義に生きていると自負しているが、一方でそれができない人たちもいるのだ。
 病によって本来なら生きられるはずの時間を失う人がいるという事実は彬にとっては耐え難い。できることならその時間を可能な限り伸ばしたいと思っている。そしてそれに自分の時間を捧げることこそ、もっとも有意義な時間の使い方だ。
 医者を志したのは純粋に病理的研究に興味を持ったからでもあるが、今となっては生きがいで天職だと感じている。
 今ここで研究がストップすれば救われるはずの患者の時間が無意味に奪われる。それは彬にとって耐えがたいことだった。
「私のチームが実用化を目指している新薬は患者数が多いわけではないです。しかしだからこそ、この研究がストップすれば、今後やる研究者が出ない可能性があります。もしそうなったら、患者は……」
「なるほど」
 大須賀が手をあげて彬の話にストップをかけた。そして目を細める。
「君は変わらないねえ」
「……は?」
 またもや不可解なコメントを口にされて、思わず彬は瞬きをしてフリーズする。
 視線の先で大須賀が「だがそもそも……」と呟いた。
 しかしその先は言わずに口を閉じる。そしてそのまま思案している。
「大須賀社長?」
「いや、割り込んですまなかった。けれど君の想いは伝わったよ。つまり君は選定は公平にしてほしい、そういうことだな? 私も少しの間だが大学病院にいたのでわかるよ。あそこの権力争いは異常だからね。たとえ正しくとも敗者が研究を続けることは難しい」
 彬はホッと息を吐く。意図が正確に伝わったようだ。
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