冷徹営業トップは私の限界オタクでした
第21話「あなたも私の『推し』でした。」
その夜。
家に帰ってからも、昼休みに恵美から言われた言葉が、陽菜子の頭から離れなかった。
――それ、本当に『ファンと推される側』だけの感情?
陽菜子はベッドの上に座り、膝を抱えながら考える。
神崎のことを、自分はどう思っているのだろう。
思い返せば、最初に出会ったのはあの夜だった。
公園で怪我をしていた神崎を見つけて、放っておけずに手当てをした。
一人で帰らせるのも心配で、そのまま彼の家まで送り届けた。
そして、明るい部屋で初めてその顔をちゃんと見たとき――
亡くなった愛犬のちくわくんに、驚くほど似ていると思った。
髪の色も、鋭い目元も、大きな口元も、のぞく八重歯まで。
思わず「ちくわくん」と呼んでしまった。
まさか、その『ちくわくん』が同じ会社の人だとは思わなかった。
しかも、営業部でトップを走るほどのエースだった。
それだけではない。
神崎は、自分が彼を知るずっと前から、陽菜子のことを知っていた。
愛犬のちくわくんが亡くなってから、家へ帰るのがつらくなった。
頼まれた仕事を断れない性格もあって、以前より残業することが増えていた。
そんな夜、デスクの上には時々、小さなチョコレートと付箋が置かれていた。
『お疲れ様です』
名前も書かれていない、たった一言。
誰が置いてくれているのか分からなかった。
それでも――。
疲れているときにその文字を見るだけで、胸が少し温かくなった。
誰かが自分の頑張りを見てくれている。
そう思うだけで、もう少しだけ頑張れた。
それを置いてくれていたのが神崎だったと知ったとき。
「……嬉しかったな」
陽菜子は小さく呟いた。
営業部へ応援に行くことになってからは、神崎と一緒にいる時間が一気に増えた。
分からないことがあれば隣で助けてくれた。
困ったときには真っ先に駆けつけてくれた。
疲れていればお茶を淹れてくれた。
一緒にランチへ行った。
休日に偶然会えば、カフェで話をした。
映画にも行った。
雨の日には、一つの傘の下を一緒に歩いた。
いつの間にか、神崎と過ごした思い出がこんなにも増えている。
そして今は――。
会えないと、寂しい。
毎日でも会いたいと思う。
一緒にご飯を食べたい。
神崎が自分以外の女性と楽しそうに話していると、胸の奥が少しだけもやもやする。
陽菜子は胸元へそっと手を当てた。
「……これって」
神崎は、自分のことを『推し』だと言っていた。
会えるだけで嬉しい。
一緒にいられるだけで幸せ。
もっと相手のことを知りたい。
それなら、自分が神崎に感じているこの気持ちも――。
「もしかして私も……」
陽菜子は少しだけ首を傾げる。
「ちくわくんのファンになっちゃったのかな……?」
陽菜子はベッドから勢いよく立ち上がった。
「この気持ち、ちくわくんに伝えなきゃ!」
そうと決まれば、じっとしてはいられない。
陽菜子はスマートフォンを手に取り、深く考える暇もなく神崎へ電話をかけた。
呼び出し音が一度鳴っただけで、すぐに電話がつながる。
「陽菜子さん。お電話ありがとうございます。どうかしましたか?」
聞き慣れた神崎の声が耳元から聞こえてきた。

「あの、私……ちくわくんに伝えたいことがあります!」
「……俺に、ですか?」
「はい!」
陽菜子は力強く答える。
「明日の夜、お時間ありますか?」
電話の向こうで、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちた。
「もちろんです。陽菜子さんのためなら、いくらでも時間を作りますよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
電話越しでも分かるほど、陽菜子の声は明るかった。
「じゃあ、明日の夜に。場所はまた連絡しますね」
「はい。分かりました」
「それじゃあ、おやすみなさい。ちくわくん」
「……おやすみなさい、陽菜子さん」
通話が切れた。
神崎はしばらく、スマートフォンを耳に当てたまま動かなかった。
静まり返った部屋。
数秒後。
「……俺に、伝えたいこと?」
神崎はゆっくりとスマートフォンを下ろした。
陽菜子から、自分に伝えたいことがある。
しかも電話ではなく、わざわざ会って話したいという。
(何だ……?)
神崎の心臓が、どくどくと大きく鳴り始める。
(何か困っていることが? いや、それなら電話でも……)
そこまで考えたところで、別の可能性が頭をよぎった。
「…………まさか」
神崎は両手で顔を覆った。
(いやいやいや。期待するな俺。陽菜子さんに限ってそんな……)
顔を覆ったまま、耳だけがみるみる赤くなっていく。
「明日の夜……」
二、三歩歩き、また立ち止まる。
「無理だ。明日まで平静でいられる気がしない……」
営業先でどんな難しい商談を任されても動じない男が、一通の電話だけで完全に冷静さを失っていた。
家に帰ってからも、昼休みに恵美から言われた言葉が、陽菜子の頭から離れなかった。
――それ、本当に『ファンと推される側』だけの感情?
陽菜子はベッドの上に座り、膝を抱えながら考える。
神崎のことを、自分はどう思っているのだろう。
思い返せば、最初に出会ったのはあの夜だった。
公園で怪我をしていた神崎を見つけて、放っておけずに手当てをした。
一人で帰らせるのも心配で、そのまま彼の家まで送り届けた。
そして、明るい部屋で初めてその顔をちゃんと見たとき――
亡くなった愛犬のちくわくんに、驚くほど似ていると思った。
髪の色も、鋭い目元も、大きな口元も、のぞく八重歯まで。
思わず「ちくわくん」と呼んでしまった。
まさか、その『ちくわくん』が同じ会社の人だとは思わなかった。
しかも、営業部でトップを走るほどのエースだった。
それだけではない。
神崎は、自分が彼を知るずっと前から、陽菜子のことを知っていた。
愛犬のちくわくんが亡くなってから、家へ帰るのがつらくなった。
頼まれた仕事を断れない性格もあって、以前より残業することが増えていた。
そんな夜、デスクの上には時々、小さなチョコレートと付箋が置かれていた。
『お疲れ様です』
名前も書かれていない、たった一言。
誰が置いてくれているのか分からなかった。
それでも――。
疲れているときにその文字を見るだけで、胸が少し温かくなった。
誰かが自分の頑張りを見てくれている。
そう思うだけで、もう少しだけ頑張れた。
それを置いてくれていたのが神崎だったと知ったとき。
「……嬉しかったな」
陽菜子は小さく呟いた。
営業部へ応援に行くことになってからは、神崎と一緒にいる時間が一気に増えた。
分からないことがあれば隣で助けてくれた。
困ったときには真っ先に駆けつけてくれた。
疲れていればお茶を淹れてくれた。
一緒にランチへ行った。
休日に偶然会えば、カフェで話をした。
映画にも行った。
雨の日には、一つの傘の下を一緒に歩いた。
いつの間にか、神崎と過ごした思い出がこんなにも増えている。
そして今は――。
会えないと、寂しい。
毎日でも会いたいと思う。
一緒にご飯を食べたい。
神崎が自分以外の女性と楽しそうに話していると、胸の奥が少しだけもやもやする。
陽菜子は胸元へそっと手を当てた。
「……これって」
神崎は、自分のことを『推し』だと言っていた。
会えるだけで嬉しい。
一緒にいられるだけで幸せ。
もっと相手のことを知りたい。
それなら、自分が神崎に感じているこの気持ちも――。
「もしかして私も……」
陽菜子は少しだけ首を傾げる。
「ちくわくんのファンになっちゃったのかな……?」
陽菜子はベッドから勢いよく立ち上がった。
「この気持ち、ちくわくんに伝えなきゃ!」
そうと決まれば、じっとしてはいられない。
陽菜子はスマートフォンを手に取り、深く考える暇もなく神崎へ電話をかけた。
呼び出し音が一度鳴っただけで、すぐに電話がつながる。
「陽菜子さん。お電話ありがとうございます。どうかしましたか?」
聞き慣れた神崎の声が耳元から聞こえてきた。

「あの、私……ちくわくんに伝えたいことがあります!」
「……俺に、ですか?」
「はい!」
陽菜子は力強く答える。
「明日の夜、お時間ありますか?」
電話の向こうで、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちた。
「もちろんです。陽菜子さんのためなら、いくらでも時間を作りますよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
電話越しでも分かるほど、陽菜子の声は明るかった。
「じゃあ、明日の夜に。場所はまた連絡しますね」
「はい。分かりました」
「それじゃあ、おやすみなさい。ちくわくん」
「……おやすみなさい、陽菜子さん」
通話が切れた。
神崎はしばらく、スマートフォンを耳に当てたまま動かなかった。
静まり返った部屋。
数秒後。
「……俺に、伝えたいこと?」
神崎はゆっくりとスマートフォンを下ろした。
陽菜子から、自分に伝えたいことがある。
しかも電話ではなく、わざわざ会って話したいという。
(何だ……?)
神崎の心臓が、どくどくと大きく鳴り始める。
(何か困っていることが? いや、それなら電話でも……)
そこまで考えたところで、別の可能性が頭をよぎった。
「…………まさか」
神崎は両手で顔を覆った。
(いやいやいや。期待するな俺。陽菜子さんに限ってそんな……)
顔を覆ったまま、耳だけがみるみる赤くなっていく。
「明日の夜……」
二、三歩歩き、また立ち止まる。
「無理だ。明日まで平静でいられる気がしない……」
営業先でどんな難しい商談を任されても動じない男が、一通の電話だけで完全に冷静さを失っていた。