冷徹営業トップは私の限界オタクでした

第22話「『推し』とは別の感情のようです。 」

金曜日。
今日のランチも、陽菜子は恵美と一緒に社員食堂で取っていた。
昨日、恵美に聞かれたこと。
家に帰ってからずっと考えて、ようやく答えが出た。
陽菜子はどこか晴れやかな表情で、箸を置いた。

「恵美。私、昨日聞かれたこと、分かったの。」

「昨日?」

「神崎さんのこと、どう思ってるのって聞いたでしょ?」

「あー。どう思ったの?」

恵美が顔を上げる。
陽菜子は少し照れくさそうに笑った。

「私も神崎さんのファンなんだって分かった!」

「……え?」

恵美の動きが止まった。

「会えないと寂しいし、一緒にご飯食べたいし、もっと神崎さんのこと知りたいなって思うの。神崎さんも私のことをそう思ってくれてるんでしょ?」

「いや、まあ……そうだけど……。」

「だから、私も神崎さんを推してるってことなんだと思う!」

満足そうにうなずく陽菜子。
恵美はしばらく黙っていた。
そして、両手で頭を抱えた。

「陽菜子……。」

「なに?」

「そこまで考えて、なんでそうなるの……。」

「え?」

陽菜子が不思議そうに首を傾げる。
そのときだった。

「ぷっ……」

後ろから、笑いをこらえるような声が聞こえた。
陽菜子が振り返る。
トレーを手にした寺内が、肩を震わせて立っていた。

「寺内さん?」

「ごめん。聞くつもりなかったんだけど……。」

寺内は口元を押さえながら、空いていた椅子を引いた。

「春宮ちゃんって、ほんっと鈍感だよね。」

「え?なんでですか?」

陽菜子はますます分からないという顔をする。

寺内はトレーをテーブルへ置き、そのまま向かいの席へ腰を下ろした。

「春宮ちゃん、神崎のファンなんだ?」

「はい。昨日やっと気づきました。」

「ふーん。」

寺内は面白そうに陽菜子を見つめる。

「じゃあさ。神崎に彼女ができたら?」

「……え?」

陽菜子の笑顔が止まった。

「彼女ですか?」

「うん。」

寺内は何でもないことのように続ける。

「神崎に好きな女ができて、その人と毎日ランチ行くようになってさ。」

陽菜子の指がぴたりと止まる。

「休日には二人で映画に行って。」

映画館で、神崎と並んで座った日のことが頭に浮かんだ。
一つのポップコーンを二人で食べたこと。
偶然、指先が触れたこと。

「雨の日には、一つの傘に入って帰ったりして。」

今度は、雨の街を並んで歩いた日のことを思い出す。
肩が触れそうな距離。
一週間ぶりに会えて嬉しかったこと。

「それで、その子に神崎が『今日も可愛いですね』とか言ってても――。」

「……嫌です。」

陽菜子の口から、思わず言葉がこぼれた。
寺内が眉を上げる。

「ん?」

陽菜子自身も、自分が何を言ったのか分からないように目を瞬いた。
けれど。
想像しただけで、胸の奥が苦しくなる。
神崎が自分以外の女性へ優しく笑いかける。
その人と二人でランチへ行く。
休日を一緒に過ごす。
自分に向けてくれていた言葉を、その人へ向ける。

「……嫌です。」

今度は、はっきりと言った。

「神崎さんが、ほかの人とそういうことするの……嫌です。」

寺内と恵美が顔を見合わせる。
陽菜子は胸元を押さえた。
心臓が、妙に速い。

「でも……ファンだったら、推しに恋人ができても応援するものじゃないんですか?」

「その人が幸せなら、それでいいって思ったりするんじゃない?」

「……。」

陽菜子は何も言えなかった。
神崎が幸せなら、それでいい。
もちろん、幸せでいてほしい。
ずっと笑っていてほしい。
でも。
その隣にいるのが、自分ではない誰かだとしたら。

「……嫌。」

小さな声が落ちた。
寺内は頬杖をつきながら、にやりと笑った。

「それ、ファンじゃなくない?」

「……え?」

「恋じゃん。」

陽菜子の思考が止まった。

「……恋?」

その言葉を口にした瞬間。
顔が一気に熱くなった。

「えっ……。」

今までのことが、次々と思い浮かぶ。
白石が神崎へ告白しているのを聞いたとき、胸が痛かった。
神崎が一週間、自分の前からいなくなったときは寂しかった。
久しぶりに会えた日は、胸が大きく跳ねた。
ほかの女性と話している姿を見ると、もやもやした。
神崎からの付箋を、捨てずに手帳へ挟んでいる。
神崎からもらったものが嬉しい。
神崎へ手作りのクッキーを渡したいと思った。
会いたい。
一緒にいたい。
自分のことを見ていてほしい。
陽菜子は両手で熱くなった頬を押さえた。

「私……。」

声が震える。

「私、ちくわくんのこと……好きなの?」

恵美が大きく息を吐いた。

「やっとそこまで来た……。」

「え?」

「昨日からずっと、それ言いたかったの!」

「でも……。」

陽菜子はますます顔を赤くした。

「ちくわくんは、私のことを『推し』だって言ってて……。」

「じゃあ本人に聞けばいいじゃん。」

寺内があっさりと言った。

「本人に?」

「今日、会うんでしょ?」

「……あ」

昨夜、自分から神崎へ電話をした。
――明日の夜、お時間ありますか?
そう誘ったのは自分だった。
昨日までは、神崎へ伝えるつもりだった。

『私もあなたのファンでした』と。

けれど――。
今は、もうその言葉では足りない。
陽菜子は胸元へ手を当てた。

「……ちゃんと、聞いてみます。」

「うん。そのほうがいいんじゃない?」

寺内は満足そうに笑いながら立ち上がった。
昼休みが終わり、陽菜子は経理部へ戻った。
自分のデスクへ座っても、仕事になかなか集中できない。
――恋じゃん。
寺内の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

「……恋」

小さく口にするだけで、胸がむず痒くなる。
今まで、神崎を『ちくわくん』と呼ぶことに何の抵抗もなかった。
愛犬に似ている、大切な人。
優しくて、自分のことをずっと見守ってくれていた人。
けれど。
それだけではなかった。
陽菜子はスマートフォンを取り出した。
昨夜の通話履歴の一番上には、神崎の名前がある。
少し迷ってから、メッセージ画面を開いた。

『今日、19時で大丈夫ですか?』

送信すると、すぐに既読がついた。

『もちろんです』

陽菜子の胸が跳ねる。
続けて文字を打つ。

『場所なんですけど、前に二人で行ったイタリアンバーでお願いします』

送信。
しばらく画面を見つめる。

『分かりました。楽しみにしています』

神崎から返事が届いた。
陽菜子はスマートフォンを胸元へ抱えた。
あの店は以前、神崎が自分へ初めて言ってくれた場所だった。
――陽菜子さんは、俺の推しなんです。
昨日までは。
同じ場所で、自分もこう返すつもりだった。
――私も、ちくわくんのファンでした。
でも今は違う。
陽菜子は熱くなった頬へ手を当てた。

今夜。
神崎に伝えたい言葉は、もう別のものになっていた。

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