冷徹営業トップは私の限界オタクでした

終業後。
陽菜子と神崎は並んで駅へ向かって歩いていた。

「今日は少し暑かったですね。」

「そうですね。陽菜子さん、疲れていませんか?」

「大丈夫ですよ。」

いつも通りの会話。
いつも通りの距離。
けれど陽菜子は、先ほどから何度も神崎の右手へ視線を向けていた。
すぐ隣にある手。
少し伸ばせば届く距離なのに、妙に遠く感じる。

――だったら、ちゃんと捕まえておけばいいじゃないですか。

白石の言葉が頭に浮かぶ。

(手くらい……恋人なら普通なんだよね。)

陽菜子はそっと自分の手を握ったり開いたりした。

「陽菜子さん?」

「はいっ!」

神崎に呼ばれ、陽菜子の肩が跳ねる。

「どうしました?先ほどから様子が……。」

「な、なんでもないです。」

「そうですか?」

神崎が心配そうに覗き込んでくる。
その顔を見て、陽菜子はまた白石の言葉を思い出した。
――春宮さんと話してるときだけ、全然顔が違いますよ。

確かに。
神崎の目元は柔らかく、陽菜子だけを見ている。
そう思ったら、少しだけ勇気が出た。

「紅夜くん。」

「はい。」

陽菜子は足を止めた。
神崎も立ち止まる。

「……あの。」

「はい?」

陽菜子は頬を赤らめながら、神崎の袖をちょんとつまんだ。
その瞬間。
神崎の身体がぴたりと固まった。

「陽菜子さん?」

「あの……。」

陽菜子は神崎の手へ視線を落とした。
そして、意を決して顔を上げる。

「私、紅夜くんと……手をつなぎたいです。」

「…………。」

返事がない。

「紅夜くん?」

神崎は完全に固まっていた。

数秒後。

「……今、なんと?」

「手をつなぎたいです。」

「…………。」

神崎の顔が、みるみる赤く染まっていく。

「陽菜子さんから……?」

「はい。」

神崎は口元を押さえた。

「……無理です。」

「えっ!?」

陽菜子の顔が曇る。

「嫌なんですか?」

「違います!!」

神崎が勢いよく否定する。

「逆です! 嬉しすぎて無理なんです!」

「びっくりした……。」

陽菜子は胸を撫で下ろした。
神崎は大きく息を吸い、なんとか気持ちを落ち着かせようとしている。

「……すみません。少しだけ心の準備をさせてください。」

「この前もそんなこと言ってましたね。」

「陽菜子さん関係は、毎回重大事項なんです。」

陽菜子はくすっと笑った。
しばらくして。
神崎がおそるおそる手を差し出す。

「……どうぞ。」

「ふふっ。」

陽菜子はその手へ、自分の手を重ねた。
指先が触れる。
そして、ゆっくりと手のひらが重なった。
神崎の手は思っていたより大きくて、温かかった。
ぎゅっと握ると、神崎の肩がびくっと跳ねた。

「……紅夜くん?」

「大丈夫です。」

「震えてますけど。」

「大丈夫です。」

「本当に?」

「人生で一番幸せなので問題ありません。」

神崎は真っ赤な顔のまま、陽菜子の手を大切そうに握り返した。
陽菜子も少し照れながら、その手を離さない。
二人は再び歩き出す。
昨日までと同じ帰り道。
けれど今日は、その間にあった少しの距離がなくなっていた。


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