終わらない夜に
それから、私と名執さんとの距離はこれまで以上にぐっと近づいた。
以前までは恋人とはいえまだ少し距離感があったけれど、なんでも話せるようになった。
その中で互いの家族の話もした。
名執さんの家は、穏やかなお父さんに厳しいお母さん、自由な弟さんのエピソードがいくつもあり、家族仲の良さがうかがえた。
一方で、私の家族の話になると空気が重くなってしまうので誤魔化すように笑ってみせるけど、そのたび名執さんは優しい笑顔で受け止めてくれた。
そんな日々を過ごし、一ヶ月以上が経ったある日。
朝起きてスマートフォンを見ると、母からの不在着信とメッセージが届いている。
【いい加減にしろ、早く金送れ。この親不孝もの】
それは母からのお金の催促の連絡だった。
名執さんと話して以来、私は母に対して『仕送りは月三万円まで、それ以上はできない』とはっきりと伝えた。
だけど母はそのお金すらもすぐに使い果たし、『あと一万でいいから』と何度も要求を繰り返した。
いつもならすぐに折れる私が今回は断固として拒否することから、最初は母は媚を売るようなメッセージを送ってきていたけれど、最近は連日苛立った口調でのメッセージが続いている。
「……大丈夫。ちゃんと拒否する」
言い聞かせるようにつぶやくと、私は仕事に向かう身支度を始めた。
今までは母にこんな態度をとるなんてできなかった。
だけど胸の中で彼が支えてくれている。そう思うと強くなれた。
お金が少し貯まったら新しい服を買おうかな。
髪も切って染めて……身も心も、少しでも名執さんにふさわしくありたい。
胸を張って彼の隣を歩く、そんな自分を想像すると未来がまぶしく感じた。
出社後、私は今日もそそくさと仕事を片付ける。
今週末は名執さんと丸一日デートだ。それが楽しみでそわそわしてしまい落ち着かない。
だけど最近少し体がだるいし微熱っぽいんだよね。
今日は早く帰ってゆっくり休もうかな。
そんなことを考えながら過ごし、時刻が十二時を過ぎた頃。
突然フロント側が騒がしくなった。
「ちょっと、あなた一体なんですか!?」
ガシャーン!となにかが倒れる音とともに男性社員の怒鳴り声が響く。
時折相談員と派遣さんの間でトラブルが起きることがある。今回もそれだろうかと、その場の全員が驚きながらも事務所からフロント側を覗き込んだ。
野次馬みたいになるのはいやだし、今のうちにお昼休憩入ろうかな……。
「だから、あいつを出せって言ってるの!!」
ところが、聞こえた大声に一瞬で血の気が引いた。
聞き覚えのある、ううん、よく聞きなれた声。
まさかそんな、信じたくなくて私は他の社員を押し退けてフロント側へ出た。
「つぐみいるんでしょ!? 出てこい!勝手なことばかり言いやがって!」
予想通りそこには、髪を振り乱し叫ぶ母の姿があった。
実際に顔を合わせるのはもう数年ぶりで、母は以前会ったときよりもだいぶ肥大していた。
汚れたTシャツとボサボサの髪という清潔感のない身なりがこのオフィス内では異質に見える。
「お母さん……なんで」
小さくつぶやいた私の声を聞き漏らすことなく、母はこちらを見ると目を見開いたまま笑った。
「つぐみ……急に仕送りやめるなんてひどいじゃない! 連絡も返してくれないし、どういうこと!? 誰かになにか吹き込まれたんじゃないの!?」
「お母さんやめて、落ち着いて」
「うるさい、指図するな!今まで誰のおかげでその歳まで生きてこれたと思ってんの!?
恩を仇で返すなんて父親そっくりのクズ!」
母はそう言いながらカウンター内に入ると椅子をなぎ倒し、カウンター上にあった電話やパソコンを勢いよく床に叩きつけながらこちらに近づいてくる。
その剣幕に恐怖心から動けずにいると、さすがにまずいと思ったのか男性社員たちが3人がかりで母を抑える。
「おい誰か警察呼べ!」
「もう許さない……ひとり暮らしも許すんじゃなかった!うちに連れ戻してやる!
この先一生あんたに寄生してやるから!あんただけが自由で幸せに生きられると思うな!」
男性たちに取り押さえられながらも、母は私に言葉を浴びせ続けた。
もう、目の前が真っ暗だ。
私はこのまま一生、この人に支配されて生きていくの?
どうすればいいかわからず、ただ深い絶望に突き落とされる。
母の叫び声を聞きながら視界がぐるぐると回って、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
その感覚に耐えきれず、私はその場に膝をついて俯いた。
そして気持ち悪さから込み上げた吐き気を抑えきれず、真っ白な床に嘔吐してしまった。
「うわ、マジかよ」
「やだー!最悪!」
心配よりも不快感を表す声が、この心をさらに絶望に突き落とす。
母にとって私は『お金』で、この人たちにとって私は『他人』でしかないのだと自分の価値を思い知らせた。