終わらない夜に
「どうして……」
「当然でしょう?蒼は名執不動産の跡継ぎよ、その恋人のことなら把握しておかなくちゃ。
本人に問題がなくても身内になにかがある可能性もあるしね」
『身内に』。
その言葉がチクリと刺さり、まさかと報告書をめくる。
するとそこには案の定、私の家庭環境のことや母のことまでしっかりとつづられていた。
「……結果として調べて正解だったわ」
つぶやく声とともにこちらに向けられた目は、先ほどまでのにこやかさとは真逆の冷ややかなもの。
真っ直ぐに向けられた敵意に、息が止まりそうになった。
「あなた自身が悪いわけじゃないの。パッとしないけど、調べた結果なんの非の打ちどころもなかったし。でもあの母親の娘ってなるとちょっとね」
「でも……」
「うちの会社の大きさは知ってるわよね?蒼はそれを担う存在なの。そんなあの子の義理の母親が、ろくに働きもせず我が子にたかる、いわゆる毒親だなんて……世間に知られたらスキャンダルになりかねない。
だから私は、会社のためにも蒼のためにも、あなたを認めることはできない」
はっきりと言い切られたその言葉で、夢から醒めた気がした。
名執さんのことが好き。
一緒にいると心があたたかくなって安心して、幸せで愛しい。
ずっと一緒にいたい、隣で笑っていてほしい。
だけど、私は彼に相応しくない。
思い出す昼間の母の姿は、娘の私から見てもひどいものだった。
自分の子供の幸せを許せない、一生寄生すると叫ぶような母親との縁を断ち切ることもできない。
こんな自分が『それでも名執さんのそばにいたい』なんて言えない。
私が、彼のことも彼の会社も、全てを不幸にしてしまう。
向き合う事実に呆然と俯くと、視界の端に大きめの封筒が置かれた。
「これは……」
「手切れ金よ。これで家も仕事も変えて、蒼の前から消えてちょうだい」
ずっしりとした見た目から、大金が入ってるのであろうことがわかる。
それは言葉だけの『別れる』では許さない、私への本気の拒絶だと感じられた。
「……わかり、ました」
小さな声でつぶやき、膝の上の拳を握る。
先ほどまで汗ばんでいた手のひらは、今では冷えて感覚がない。
それからずっと無言のまま、ただ車が進むことに耐え、アパート前に着いたのを確認すると車を降りた。
もらった封筒を手に名執さんのお母さんへ頭を下げると、なんの言葉もなくドアは閉じられ車は去っていった。
ひとりになり自分の家に入ると、真っ暗でせまいワンルームがあるだけ。
荷物も少ない、飾り気もない部屋を見ながらドアにもたれ、私はゆっくりと床に腰を下ろした。
本当に、どこにも居場所がなくなってしまった。
……ううん、最初からなかったんだ。
家、職場、恋人。誰のもとにも私の居場所なんてなかった。
もうどうでもいいや。このまま消えてしまおうか。
そう思うと同時に、先ほどの医師の『妊娠』という言葉が浮かんでくる。
私にはなにもない。
だけど今ここには、小さな命が確かにある。
これだけは失くせない。無かったことにもできない。
「ごめんね……どうでもいいなんて、よくないね」
まだなんの実感も湧かないお腹を撫でると、自然と涙がこぼれだす。
この身に宿る、小さな命。
これだけが名執さんと過ごした証で、これからの私を支える光。
この命ひとつを抱いて、このままなにも言わずに去ろう。
つらいけど、寂しくて心がどうにかなってしまいそうだけど。
それでもただ、彼の幸せだけを願って。