終わらない夜に
名執さんのお母さんと話をした日。
私はその日のうちに荷物をまとめ、翌日には家具を全て引き払った。
家を退去し仕事も退職し、これからどうしようかと思ったとき目に入ったのが、駅に掲示されていた佐渡島のポスターだった。
自然豊かで縁もゆかりもない場所。
そこでなら新しい人生が始められると思い調べたところ、島の取り組みで転居支援があることを知った。
正直私自身はまともに貯金がなかったので、この支援の活用と名執さんのお母さんから渡されたお金で生活し直そうと決め、キャリーケースひとつを持って東京を出た。
そしてやってきた佐渡島は、新潟県に属する離島だ。
都内からは新幹線とバス、そして船を乗り継いで3時間半かかる。
島内も中心地は栄えているけれど、私はあえて山に囲まれた地域に暮らすことにした。
最初は不安だったけれど、ここの人たちはみんな優しく受け入れてくれて、私が妊娠中だと知ると尚更親切にしてくれた。
ここでの暮らし方や地域の行事、特色などいろいろなことを教えてくれて、これまで他人と薄い関わりしか持ってこなかった私にとっては人間関係の構築すらも戸惑うことばかりだった。
だけど少しずつ土地や人に慣れていき、無事出産し……。
ここに来て4年、今では3歳になった双子とともに穏やかに暮らしている。
母とはあれから連絡ひとつすらも取っていない。
なにも言わずに電話番号を変えたし、住所を調べられないよう住民票にも制限をかけた。
……そしてそれは、名執さんも同じ。
なにも言わずに離れてそのままだ。
きっともう私のことなんて忘れてるだろうな。むしろ、忘れてくれていい。
彼に相応しい素敵な人と幸せになってほしい。
そう願えるくらいには、強くなれた。
保育園を出てから、そのまま10分ほど自転車を走らせた。
そしてやってきたのは壁に『吉倉建築』と書かれた三階建ての四角いビルだった。
吉倉建築は大手建築会社の子会社で、この島の建築や整備、リフォームからインフラまでを幅広く担う会社だ。
私は近所の人の紹介のおかげで、産後からこの会社で事務員として働かせてもらっている。
この会社は、社員やパートさんがいい人なのはもちろん、勤務時間は九時から十七時で基本的に残業はなし。
シングルマザーということも考慮してくれており、子供の都合による急な休みに理解があるのでとてもありがたい。
事務員の制服である白いブラウスに黒のベストとスカートに着替え、クーラーの効いた事務所に入る。
「おはよう、つぐみちゃん」
「おはようございます」
いつも一番に明るく声をかけてくれるのは、先輩社員の原田さんだ。
五十代の原田さんは仕事のことも母親としても先輩で、なにかとアドバイスをくれたり、私が寝込んだときには子供たちを見てくれたりする。頼もしい存在だ。
「今日も双子ちゃん自転車に乗せて爆走してたね! 出勤途中に車から見てたよ」
「えっ、恥ずかしい。今朝は冬馬がテレビに夢中で動かなくて……遅刻するかと思いましたよ」
「冬馬くんマイペースだもんねぇ、そこがかわいいけど」
頬を緩める原田さんとふたりであははと笑った。
こんなやりとりも前の会社ではありえなかった。
私自身も、ここに来てからだいぶ明るくなれた気がする。
母の存在がないこと、そして守るべき存在がいることが自分を大きく変えてくれた。
「そういえば聞いた?うちの親会社、大手に吸収されるんだって」
「え? そうなんですか?」
「傾いてたところを助けてもらったらしいよ。で、今回その親会社主導でリゾート開発の計画があるが動きだすそうで、朝イチから偉い人が来てるの」
原田さんの話に周囲を見ると、確かに上司たちは事務所内にいないし、他の社員やパートさんもどこかそわそわしている様子だ。