終わらない夜に
「失礼ですがこちらは」
「あっ、初めまして……」

慌てて挨拶をしようとしたところ、名執さんが私の肩を抱く。

「恋人の藤咲つぐみさんだよ。結婚を前提に付き合ってる」

恋人……。
まさかこんなに堂々と言ってくれるなんて思わず、甘い響きに顔が緩みそうになる。

普段そういったことを公言するタイプではないのだろう、突然の彼の発言に彼女は目を丸くして驚いた。

「それは……おめでとう、ございます。申し遅れました、秘書の丸尾と申します」
「あっ、えっと、ありがとうございます……?」

深々と頭を下げる丸尾さんに、私もぺこぺこと頭を下げる。

「婚約者もいる場で堂々と、ひどいわね」

するとその場にもうひとりの女性が現れた。
毛先を巻いた黒髪に、深緑色のカシュクールトップスと黒のタイトスカートという色気のある見た目の彼女。
前髪からのぞく形のしっかりとした眉と、濃いめのメイク、くっきりとしたオレンジ系のリップが、華やかな顔によく似合っている。

「……桜川さん」

名執さんが呆れた様子で口にした名前から、先ほど電話で丸尾さんが話していたのはこの人のことだったんだと気づいた。

「婚約者ではなくただのお見合い相手ですよね。勝手に会社に来られるのは困ります」
「ただのお見合い相手なんて失礼な人。私はあなたのお母様にも認められてるのよ?」

名執さんの、お母さんに認められている。

『認められない』と言われた私とは違う。きっと育ちや家柄もいい人なのだろう。
そう思うと自分との立場の違いに恥ずかしくなる。

「あなたと結婚できて名執不動産とつながりが深くなれば、うちの会社にとっては大きなメリットになる。
もちろん、名執不動産にとっても悪い話じゃないはず。お互い政略結婚として割り切りましょ」

その口ぶりから、桜川さんは会社のために彼との結婚を望んでいるのだと知る。
ここまで堂々と言い切ると、いっそ清々しいくらいだ。

「それでなんの用ですか。秘書を使って呼び出すほどの用事があったんですよね」
「人聞きが悪い。あなたが私の連絡を無視するから最終手段として来たんじゃない」
「こちらは断っているのに、しつこく連絡してきて勝手に交際や結婚の話を進めるからですよ」

私の知らないところで名執さんも苦労していたのだろう。ここまで冷たく返す彼も珍しいと思った。
けれどそれにもめげず、桜川さんは名執さんにするりと腕を絡めて体を寄せる。

「そんな冷たい言い方しないで。今日はね、今週末に両家顔合わせの予定を立てたからその報告に来たの」
「……だから、今回の縁談はお断りすると何度も申し上げていますが」
「でもお母様もとってもよろこんでたわ。どこかの育ちの悪い女と結婚するより断然いい、って」

名執さんのお母さんが……。
そのひと言がチクリと胸に刺さる。

「そのとき聞いたんだけど、あなたが前に付き合ってた人でよくない育ちの人がいたんですって?いやよねぇ、そんな卑しい血が名執の血縁に加わるなんて」

ふふ、と笑いながらその目はチラッと私を見る。

その『よくない育ちの人』が私とわかってか、それともどう見ても平凡な私に釘を刺しているのか。
わからないけれど、その言葉は私に向けられたものであることは確かだ。

「恥ずかしいとか名執の家に迷惑がかかるとか思わないのかしら。まぁその点、私は家系を辿っても汚点ひとつない育ちだからなにも心配いらない──」
「やめろ」

得意げに言う彼女の言葉を遮るように響いたのは、名執さんの冷静な声だった。

先日の牧野さんのときのカッとなった怒りとは違う。
ひどく冷たい眼差しと感情のない声に、桜川さんは怯むように腕から手を離す。
 
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