リハビリな五月病
辰也の五月病は、六月に入っても続いていた。そして、じとじとと雨が降る中でも、例の渡り廊下ではやはり、リハビリ少女が告白されていた。
「もう少しでリハビリが終わりそうなんだけど……でも、まだ時間が必要かも」
相変わらず、何を言っているのかさっぱりわからない、不思議な断り方だ。何度も告白されるほどの目を引く容姿を持っているだろうに、中身は怪電波を受信した不思議ちゃんなのだろうか。
雨の音にかき消されそうなその女子生徒の声をすくい上げて必死に耳につなぎ止めようとする辰也は、今日もぼんやりとそんなことを考えていた。
「夏休みが始まるまでは、確実にリハビリが必要なの。ごめんね」
六月二回目の告白も、彼女はそう言ってかわす。まったくもって、この女子生徒はいったい何を言っているのだろうか。
それまでずっと不明瞭な心地で少女を見ていた辰也が明らかな苛立ちを感じたのは、梅雨が明ける頃だった。
七月、期末テストも終わり、終業式まであと少し。
その日は真夏日で、強い風が吹いていた。
特に用事もない昼休み、辰也は教室を出て階段を下りると、いつもは上から眺めているだけの渡り廊下に向かった。そして、不思議ちゃんがいつも立っている位置に立ってみる。
彼女はここに立って、どんな気持ちで景色を見ていたのだろうか。廊下の先に続く体育館、傍にある木々の葉が揺れる音、校舎内にいる生徒の声。雨も太陽の眩しさもしのげる、屋根が付いた渡り廊下。
「奥寺先輩のリハビリは終わりましたか」
不意に声をかけられて、辰也は校舎側へと続く廊下の先に視線を向けた。
細い髪に、何度も聞いた声。
初めて拝むその顔は、なるほど、一目で印象に残るほどかわいらしい愛嬌の中に、美しさも感じさせる凜とした魅力を秘めていた。男子生徒たちが惹かれるのも無理はない。
「何のことだか、意味がわからない」
「あなたが私の告白現場を見ていたように、私はあなたを見ていました。ずっとずっと。あなたが一年の頃から付き合っていたカノジョさんとなぜか別れたその日すらも」
「ストーカーかよ」
「近いですね。一年生の頃から、私はずっと、奥寺先輩が好きでしたから」
「で、それをオレに伝えてどうする? 次のカノジョになるか?」
「いいえ、伝えていません。これは私の独り言です」
不思議ちゃんは髪の毛を耳にかけて、無邪気に笑う。
こちらの思いどおりにならない猫のような強い自我を感じさせる態度が、辰也の胸をわずかに揺さぶった。
「私のリハビリは終わりました。届かない恋心とも、もうお別れです。そのうちに、次の恋を始められそうです。奥寺先輩が私を見てくれていたこの数カ月、へんに幸せでした」
「知ってたのか」
「三年生の教室からこの場所がよく見える……ということは、ここから見上げれば、三年生の教室がよく見えるということですよ」
なるほど、自分が彼女の告白現場をよく目撃したように、彼女はここからこちらを見上げていたのか。
「受験生の夏は大事なんですから、シャキッとしてください、奥寺先輩。あなたの恋も人生も、まだまだこれからなんですよ」
「何様だよ」
「遠藤望愛様です。それではごきげんよう、奥寺先輩」
辰也と話をするためだけに来たのだろうか、遠藤望愛と名乗った女子生徒はくるりと背後に向くと、校舎内へと姿を消してしまった。
(変な奴……)
望愛は辰也を好きだったという。それも、一年生の頃から。
しかし、結局その恋が叶うことはなく、彼女は長いリハビリ期間を経て、どうやら諦めることにしたらしい。勝手に人を好きになって勝手に好きをやめて、次へと進んでいく。不思議ちゃんな後輩がいたものだ。
だがなるほど、リハビリとは言い得て妙だ。
思えば自分も、一度立ち止まって進むことをやめて、リハビリをしていたのかもしれない。カノジョと別れて、そのことを深く悲しんでいるわけでもないのになぜか全方位にやる気が出なくて、その原因が何なのかわからなくて、ずっと自分の周囲に留まり続けていた、深い靄。その靄が自然と晴れていくまでの間、休息する時間を必要としていた。もう一度、確固たる感覚で日々を過ごせるようになるために、言葉にできない曖昧な時間を過ごしていたのだ。
辰也は急に目が覚めたような気がした。
渡り廊下の屋根の下から一歩外に出て上を見上げれば、青い空と白い雲が眩しい。そうだ、五月はとっくに過ぎ去って、梅雨も終わっていたんだ。
受験までの残り時間は、着実に少なくなっている。高校生の恋がそうそううまくいかないように、どんなに悩んで考えたところで、未来はなるようにしかならない。せめて、自分が少しでも幸せを感じられるように、いまやれることをしっかりとやって、大学に入ろう。そこできっとまた、新しい恋もできるだろう。
けれど、もしも次に恋をするなら、望愛ぐらい魅力的な顔の女がいい。不思議ちゃんではあるが、ほかの女と似たり寄ったりの相手よりは楽しい付き合いができるかもしれない。
そんな下世話なことを考えながら、辰也は教室に戻った。
「もう少しでリハビリが終わりそうなんだけど……でも、まだ時間が必要かも」
相変わらず、何を言っているのかさっぱりわからない、不思議な断り方だ。何度も告白されるほどの目を引く容姿を持っているだろうに、中身は怪電波を受信した不思議ちゃんなのだろうか。
雨の音にかき消されそうなその女子生徒の声をすくい上げて必死に耳につなぎ止めようとする辰也は、今日もぼんやりとそんなことを考えていた。
「夏休みが始まるまでは、確実にリハビリが必要なの。ごめんね」
六月二回目の告白も、彼女はそう言ってかわす。まったくもって、この女子生徒はいったい何を言っているのだろうか。
それまでずっと不明瞭な心地で少女を見ていた辰也が明らかな苛立ちを感じたのは、梅雨が明ける頃だった。
七月、期末テストも終わり、終業式まであと少し。
その日は真夏日で、強い風が吹いていた。
特に用事もない昼休み、辰也は教室を出て階段を下りると、いつもは上から眺めているだけの渡り廊下に向かった。そして、不思議ちゃんがいつも立っている位置に立ってみる。
彼女はここに立って、どんな気持ちで景色を見ていたのだろうか。廊下の先に続く体育館、傍にある木々の葉が揺れる音、校舎内にいる生徒の声。雨も太陽の眩しさもしのげる、屋根が付いた渡り廊下。
「奥寺先輩のリハビリは終わりましたか」
不意に声をかけられて、辰也は校舎側へと続く廊下の先に視線を向けた。
細い髪に、何度も聞いた声。
初めて拝むその顔は、なるほど、一目で印象に残るほどかわいらしい愛嬌の中に、美しさも感じさせる凜とした魅力を秘めていた。男子生徒たちが惹かれるのも無理はない。
「何のことだか、意味がわからない」
「あなたが私の告白現場を見ていたように、私はあなたを見ていました。ずっとずっと。あなたが一年の頃から付き合っていたカノジョさんとなぜか別れたその日すらも」
「ストーカーかよ」
「近いですね。一年生の頃から、私はずっと、奥寺先輩が好きでしたから」
「で、それをオレに伝えてどうする? 次のカノジョになるか?」
「いいえ、伝えていません。これは私の独り言です」
不思議ちゃんは髪の毛を耳にかけて、無邪気に笑う。
こちらの思いどおりにならない猫のような強い自我を感じさせる態度が、辰也の胸をわずかに揺さぶった。
「私のリハビリは終わりました。届かない恋心とも、もうお別れです。そのうちに、次の恋を始められそうです。奥寺先輩が私を見てくれていたこの数カ月、へんに幸せでした」
「知ってたのか」
「三年生の教室からこの場所がよく見える……ということは、ここから見上げれば、三年生の教室がよく見えるということですよ」
なるほど、自分が彼女の告白現場をよく目撃したように、彼女はここからこちらを見上げていたのか。
「受験生の夏は大事なんですから、シャキッとしてください、奥寺先輩。あなたの恋も人生も、まだまだこれからなんですよ」
「何様だよ」
「遠藤望愛様です。それではごきげんよう、奥寺先輩」
辰也と話をするためだけに来たのだろうか、遠藤望愛と名乗った女子生徒はくるりと背後に向くと、校舎内へと姿を消してしまった。
(変な奴……)
望愛は辰也を好きだったという。それも、一年生の頃から。
しかし、結局その恋が叶うことはなく、彼女は長いリハビリ期間を経て、どうやら諦めることにしたらしい。勝手に人を好きになって勝手に好きをやめて、次へと進んでいく。不思議ちゃんな後輩がいたものだ。
だがなるほど、リハビリとは言い得て妙だ。
思えば自分も、一度立ち止まって進むことをやめて、リハビリをしていたのかもしれない。カノジョと別れて、そのことを深く悲しんでいるわけでもないのになぜか全方位にやる気が出なくて、その原因が何なのかわからなくて、ずっと自分の周囲に留まり続けていた、深い靄。その靄が自然と晴れていくまでの間、休息する時間を必要としていた。もう一度、確固たる感覚で日々を過ごせるようになるために、言葉にできない曖昧な時間を過ごしていたのだ。
辰也は急に目が覚めたような気がした。
渡り廊下の屋根の下から一歩外に出て上を見上げれば、青い空と白い雲が眩しい。そうだ、五月はとっくに過ぎ去って、梅雨も終わっていたんだ。
受験までの残り時間は、着実に少なくなっている。高校生の恋がそうそううまくいかないように、どんなに悩んで考えたところで、未来はなるようにしかならない。せめて、自分が少しでも幸せを感じられるように、いまやれることをしっかりとやって、大学に入ろう。そこできっとまた、新しい恋もできるだろう。
けれど、もしも次に恋をするなら、望愛ぐらい魅力的な顔の女がいい。不思議ちゃんではあるが、ほかの女と似たり寄ったりの相手よりは楽しい付き合いができるかもしれない。
そんな下世話なことを考えながら、辰也は教室に戻った。


