消して、奪って、きみだけを

 窓の向こうはすっかり日が落ちて、藍色の空に欠けた月が浮かんでいた。

 また明日、なんて別れることなく一緒にいられるいまが、まだどこか夢心地だった。
 そんな呪文を唱えなくても、僕も羽衣もひとりで夜を明かす必要はもうない。

 あの頃とはちがう。
 僕たちの時間を、世界を邪魔するものはここにはない。

 それなのに、どうしてこんなに不安なんだろう。

 こうして羽衣を腕の中におさめても、すり抜けてしまわないか怖くてたまらない。
 目が覚めたとき、いなくなっていたらどうしよう。

 だから、嫌なんだ。
 記憶を取り戻したらまた自分を責めて、きっと僕から離れようとする。

 そんなの嫌だ。
 そんなの、許さない。

「叶人くん……服、濡れちゃうよ」

「……いいよ、そんなの」

 いっそ抱きすくめるように腕の力を強めたら、手に触れた羽衣の肌がひんやりとした。
 その冷たさにはっと我に返る。

「ごめん、羽衣が風邪ひいちゃうね。髪乾かさないと」

 そっと離すと、風呂上がりだからか、ほんのり上気したように頬を染める羽衣と目が合った。

 苺の雫を溶かしたみたいでかわいい。
 愛しさが込み上げてきてふと頬を緩めた。

「おいで、乾かしてあげる」



 洗面所から持ってきたドライヤーを繋ぎ、ソファーに座って羽衣の髪に風を当てた。
 シャンプーか、トリートメントか、甘い香りはさっきよりも優しく広がっていく。

「熱くない?」

「大丈夫!」

 大人しくされるがままの素直な羽衣がかわいくて、こっそりと表情を綻ばせた。

 愛しいと思う気持ちが募るたび、試されている気がしてくる。

『ごめんね。羽衣の気持ちを無視してそんなことはしないから安心して』

 そんな自分の言葉を守れるのかどうか。

 さっきも揺らいだなんて、羽衣には言えない。
 いまだって、この無防備な白い首筋を意識しないようにするので精一杯。

 羽衣を泣かせるようなことは、羽衣に嫌われるようなことは、死んでもしたくないけれど。

「……よし、乾いたよ。どう?」

 ぱち、とドライヤーを切って尋ねると、髪に触れた羽衣が振り向いた。

「うん、ありがとう」

 屈託(くったく)のない笑顔で言い、うれしそうに言葉を繋ぐ。

「何か不思議。乾かしてもらってる間、安心してたっていうかくすぐったい感じがして……。叶人くんの手が優しかったからかな」

 たまらず息をついた。
 音を立てる心臓をおさえたいのに、認めてしまうと逆効果だった。

「……どうしてそんなにかわいいの?」

 僕の気も知らないで、いまばかりは憎たらしいくらいだ。

 羽衣のことなら何でも知っているし、何でも分かっていると思っていたのに、先ほどから見せるどんな表情も言葉も新鮮な感じがする。

 だから、余計に揺さぶられる。

 安心してくれているなら、無害な幼なじみという顔を守りたかったけれど、この調子ではそんな余裕も保てなくなりそう。
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