消して、奪って、きみだけを

(もう……)

 ぐらつく理性の土台が崩れないよう、一度この甘いにおいに満たされた部屋から出ようと思った。
 ドライヤーを手に立ち上がろうとしたら、ふいに羽衣が動く。

 ソファーに片手をつき、それを支えにこちらへ手を伸ばしてきた。
 ぽん、と頭に触れられてはっとする。

「叶人くんにも……安心して欲しい。不安なんて忘れてね。わたしもどこにも行かないから」

 その仕草と言葉に戸惑った。
 健気(けなげ)な優しさがうれしいのに、素直に受け取れないでまた勝手に不安を募らせてしまう。

(……気づいてる?)

 僕のしてきたことに。
 暗に示されたんじゃないかと一度でもよぎったら、瞬く間にその不安一色に染まってしまった。

 消さないと、と内心焦る。
 あの家のことや昔のこともどこまで思い出したのか分からないし、余計な記憶は消して、なかったことにしておかないと。

「羽衣────」

 とっさに伸ばした手は、その頭に届く前に掴まれた。
 驚いているうちに両手で包み込まれ、温もりが溶け込んでくる。

 その手を、羽衣はそのまま自身の頬に持っていった。
 あてがわれたてのひらに滑らかで柔らかい感触が触れ、その上から押さえるように僕の手を掴んで握られる。

 切実なような上目遣いに心臓が跳ねた。
 動揺で瞳が揺れるのを自覚する。

「待って、羽衣。……分かってる? 僕も男だよ」

「分かってる」

「キスしたら止まれなくなるかも」

 最後の念押しを口にした瞬間に塞がれた。
 身を乗り出すようにして顔を近づけた羽衣は、一瞬唇に触れて離れる。

「……しちゃった」

 予想外の行動に驚いて固まってしまうものの、目を伏せた羽衣が照れたように笑ったのを見て、すぐに金縛りが解けた。

 うつむいて隠そうとした顔に両手を添えて口づける。

「……っ」

 一度離れてその潤んだ瞳を目にしたら、熱を帯びた心が火照(ほて)って痺れた。

 絡めて、深めて、何度もキスを繰り返したら、息を切らせた羽衣が僕の肩あたりに触れる。
 ぎゅ、と縋るようにしてしわが寄った。

「ちょ、っと……待っ、て。もう……」

 余裕のない泣きそうな表情も、真っ赤な頬も、吐息混じりの声も、掴まるみたいなその手も、ぜんぶがかわいい。
 けれど、理性の崖際にぎりぎり踏みとどまる。

「ごめんね、苦しかった? やめる……?」

 じっと見つめて尋ねると、羽衣はすぐさま首を横に振った。
 僕を掴む手に力が込もったのが分かる。

 “離さないで”って言われているみたい。
 こんなにしたのは僕なのに────。
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