消して、奪って、きみだけを
そばにいるだけで、何もしてこなかったことを悔いた。
気づいてもくれないなら、届かないなら、羽衣の気持ちを尊重してきたことは結果として無意味だったとさえ思った。
だけど、それはちがう。
こうして失いかけてやっと自覚した。
俺が本当に望んでいるのは、羽衣の心を強引に得ることじゃない。
羽衣が笑っていてくれること。
それが俺の隣じゃなくても、意思を奪われることなく、傷つくことなく、自分の選択の結果として幸せを掴める場所ならそれでいい。
だからこそ、このままじゃいけない。
その何より大事にするべき笑顔を奪い、意思までもを奪おうとした俺は、まずそれを羽衣に返さなければ。
許されなくても、自分の過ちから逃げるわけにはいかない。
「……まあまあ、あたしも言い過ぎたよ。反省してるなら“最悪”は取り消す」
想定以上に俺が肩を落としているからか、妙な気を遣われた。
「いいよ、間違ってねぇし」
「そうだけどさ。……羽衣と話すんでしょ? 当たって砕けたら骨は拾ってあげるから安心して」
随分と頼もしいことを言ってくれる。
堂々と日和に背中を押され、目が覚めた気分だった。
「ありがとな」
休み時間になると、廊下で羽衣を呼び止める。
無視されるかとこの間のような懸念が首の周りを漂って圧迫してきたが、羽衣はほとんど反射とはいえ振り向いてくれた。
「今朝は……ごめん。本当に悪かった」
どんな罵声も軽蔑の眼差しも覚悟して、ばっと頭を下げる。
自分が許されて楽になるためじゃなく、羽衣の中に恐怖や動揺や、俺が与えてしまった負の感情を残さないために。
いや、残さない、は無理だ。
どれだけあとからかき出そうとしても、側溝の端に溜まった花びらみたいにこびりついてしまっているはず。
いつか強い風が吹けば流れていくのかもしれないが。
落とした視界の中で、羽衣が困惑したように少しあとずさったのが見えた。
慌てて顔をもたげる。
「おまえが不快だって言うなら……離れる。距離取って話すから、だから……」
「あの、ごめん。何の話か……わたし、篠崎くんに何かされたっけ?」
焦って言葉を繋ぐ俺を見て、羽衣は困ったように笑うと首を傾げた。
心底困惑している様子で、何となくこの状況に既視感を覚える。
(え……)
どうやら、また記憶を消されたらしかった。
しかし今回に関しては、問題はそこじゃない。
「篠崎、って……」
聞き間違いかと思った。
羽衣はいままでずっと、そんな他人行儀な呼び方をしたことなんてない。
「あれ……? 篠崎くん、だよね」
確かめるように繰り返されても、聞いていることの意味が分からなかった。
まるで覚えたばかりの顔と名前を照らし合わせるみたいな聞き方────。