消して、奪って、きみだけを
「ちょっと……羽衣? 何の冗談?」
俺とまったく同じように戸惑い、そう口を挟んだのは驚いたことに日和だった。
ああ言った手前、こっそり潜んで聞いていたらしい。
さすがに訝しんで当然の状況で、日和は羽衣を突き放すような冷たい演技も忘れているようだった。
そんな場合じゃない。
「冗談って……? もしかして今朝、夏目さんとも何かあったっけ?」
羽衣はいっそう困惑した様子で眉を寄せる。
思わず日和と顔を見合わせ、信じられない気持ちで羽衣を凝視した。
「嘘でしょ……。今度は何を忘れさせられたわけ?」
日和が衝撃を受けたような硬い声色で嘆く。
呼び方も態度もよそよそしくなり、どうやら俺や日和との間にあった決定的な出来事も忘却しているらしいと来た。
存在か、関係か、思い出か────いずれにしても、羽衣と紡いできた時間のすべてが砂のように消え去ったわけだ。
「…………」
すっかり言葉を失い、目を伏せた俺は力なくきびすを返した。
失意のどん底に突き落とされたような気がして、何だか躍起になる気も起きない。
いまどれだけ必死に訴えかけたところで、思い出してくれる保証もない。
思い出してくれたところで、待っているのが失望か軽蔑ならやるせない。
あがいたって忘れるのは一瞬だ。
半分、心が挫けていた。
羽衣の心を蝕む辛い出来事ごと忘れられたのは、むしろ羽衣にとっては救いになるんじゃないだろうか。
そう思って割り切るしかなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌てて追いかけてきた日和が、戸惑いながら俺を見て、羽衣を振り返った。
結局、口をつぐんで眉をひそめている。
「……最悪だな、これこそ」
ぽつりと呟くが、怒ればいいのか悲しめばいいのか分からない。
とにもかくにも、若宮は恐らく羽衣から俺と日和の記憶を奪った。
少なくとも存在は認識できているようだが、関係性は覚えていないと見て間違いない。
友だちだった事実も、これまで一緒に過ごしてきた時間も、ぜんぶ消えてしまったのだ。
今朝のことで俺と羽衣を断絶させるだけでは飽き足らず、とどめと言わんばかりの所業。
事実だけでなく記憶から認識を歪めてきた。
確かに俺や日和のことを忘れさせれば、あいつにとっての“邪魔者”は排除できるだろう。
そんな最悪の選択でしかない。