消して、奪って、きみだけを

 うまく言えないけれど、関係性そのものを忘れても、わたしの記憶から涼や日和の存在が抜け落ちたわけではなかった。

 そもそも“関係”は、日々の出来事の積み重ねで、一緒に過ごした時間の軌跡なんだ。

 記憶のページから文字そのものが消えて、一見空白になっても、筆圧の跡は残る。
 それをなぞれば、何度忘れさせられても取り戻せる。

 朝のバス、教室、帰り道、甘酸っぱいワッフルのにおい、猫のマスコット、3人で紡いだ空気の温度。
 身体に残る感覚や象徴的なものや場所。

 その残滓(ざんし)が、光の束みたいにわたしを導いてくれた。

 この先も完全に消えることはないだろう。

 いつしか一緒にいることが当たり前になって、いない方が落ち着かないくらい、わたしにとって大事な存在である涼。

 ワッフルを半分こしたり、落ち込んでいるときに笑わせてくれたり、何気ない日常を守り続けてくれていた。

 そんな優しさを見落としてきたから、あんなふうに傷つけてしまったんだ。

 ついうつむきかけたとき、右手から重みが消えた。
 ワッフルを受け取った涼が、それをそのままわたしの口に運ぶ。
 ふわりと甘い香りや味が広がって自ずと心がほどけた。

「大きい方、譲ってやるよ。不器用だな、本当に」

 そう言って微かに笑い、わたしの左手に取り残されていた方をつまんで食べた。

 確かに均等な半分ではなくて、涼のひとくちにおさまるくらいにはそっちの方が少し小さかったかもしれない。

「不器用なんじゃなくて今日は急いでただけ。でも、やっぱり……涼が割ってくれた方が綺麗だね」

 からかうことだけは忘れない涼にむっとしたものの、途中で思わず小さく笑う。
 彼の表情が揺れた。

「ごめん、羽衣」

 涼がつま先ごとこちらを向いて勢いよく頭を下げる。
 かじったワッフルをちょうど食べ終えたタイミングでなければ、喉に詰まらせていたかもしれない。

「その……“あのこと”も思い出したってことだよな」

 考えるより先に、腕や背中や顎先に感触が蘇った。
 もう忘れたと思っていた戸惑いと恐怖が肌に張りついて身体の先が強張る。

「本当にごめん。怖がらせるつもりじゃなかったし、困らせてることも分かってたのに……」

「涼……」

「許してくれなんて言えないけど、俺を見るたび嫌な気持ちにさせたくなくて。いまさらだけど」

 確かに怖い思いはしたけれど、涼を嫌いになったわけじゃなかった。
 それに────。

『俺が好きなのはおまえなんだよ』

 わたしが見過ごしてきたのは、その想いだってそう。
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