消して、奪って、きみだけを
余裕の崩れない甘やかな表情と、それに負けないくらい甘くてまっすぐな言葉。
だけど普段よりいっそう熱の込もった眼差しに感情を攫われていく。
叶人くんが優しくて甘いのはいつものことなのに、時折こうして見せる瞳もまた、わたしの知らない色をしている気がした。
底が見えないくらい深い。
つい戸惑っていると、彼はゆったりと淡い微笑みを残して手をほどいた。
「……いままで、どんな思いで────」
ざわざわと風に揺れる梢の隙間で、微かにそう呟いたのが分かった。
目を伏せる叶人くんの手には、いつの間にか小さな白いものが握り締められている。
「それ、しおり……?」
桜の押し花があしらわれたそれは、決して新しいとは言えない状態だった。
結ばれた細いリボンの端がわずかにほつれている。
「……そう。僕にとってはお守りだ。大げさじゃなく、自分という存在をこの世界に繋ぎ止める最後の砦みたいなものだった」
叶人くんは愛おしむように、慈しむように、しおりの桜を指先で撫でた。
「羽衣のお陰だよ。羽衣が僕にこれをくれたから、いままで生きてこられた」
「わたし、が?」
肌の表面をざらりとした何かが通り過ぎていく。
垂れた濃いインクが胸の内で波紋を広げた。
記憶を手繰ってみても、わたしがそのしおりを彼にあげた覚えはない。
そんな大切なものなのに彼が思い違いをしているなんてこともないだろうし、ありうるとすれば────わたしの記憶がまた抜け落ちている可能性。
動揺を隠しきれず、瞬きも忘れて呆然としてしまう。
「……もしかして、覚えてない?」
確かめるように遠慮がちに尋ねられ、小さく頷いた。
そんな大事なことを忘れてしまっているという事実もさることながら、叶人くんにとってかけがえのない思い出が、わたしの中で消えてしまったことがショックだった。
彼はいつだってわたしを支えて守ってくれるのに、これじゃわたしはいったい何を返せるんだろう。
過去の出来事や繋がりが一番価値あるものかもしれないのに。
「そっか、そういうことか……」
そう呟くと、叶人くんはそっと立ち上がってスペースを埋めるようにわたしのすぐ真横に座り直した。
衝撃から立ち直った様子でいつも通り柔らかく微笑む。
「大丈夫。羽衣が何を忘れたって……僕がいるから」
ゆらゆらと揺れるわたしの双眸を見やり、ますます目元を和らげる。
片方の手が背中から回され、もう片方の手は側頭部に添えられた。
包み込まれているような形になって、甘くて深い彼の香りに酔ってしまいそうになる。
「覚えてないことが不安なら教えてあげる。それこそが僕たちの世界の真実だよね」
温もりや感触に慣れていくことが怖かった。
慣れるほど離れるのが惜しくなってしまう────それでも、いまは腕の中で身を預けることに安心感を覚えていた。
「辛いことは何もかも僕が忘れさせてあげるから。僕といる限り、きみは幸せだ」