この恋、上方修正銘柄です!
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予鈴のチャイムが校舎に響く。
教室に戻ってきた前席の男子が、ガタンと椅子をまたいで後ろ向きに座る。
「なあなあ、ちょっとお願いがあるんやけど」
この学校で関西弁を話す男子生徒はただ一人。
願いとは何か、言われなくても見当はつく。顔を上げずにシャーペンをノートに走らせたまま、無理、と短く答えた。
一方、にべもなく断わられた方はと言えば、至ってとぼけた口調で。
「俺、まだ何も言ってへんのに、何が?」
錦は顔を上げて眼鏡の位置を直し、開いていた辞書をわざとらしくパタンと閉じた。
「ノートは貸しません」
本人曰く地毛の色らしいアッシュブラウンの長めの髪は、左サイドねじり上げ。ヘアアレンジの時間があるなら予習くらい出来るだろうと思う。
「ウソ、何で分かったん?つか頼むわ、俺今日当たんねん」
「だったら今から自分でやれば?」
冷たい言い方になってしまったらしい、周りの同級生達がギョッとしているのが分かる。
一軍男子に声をかけられた陰キャの女子が身の程知らずにも生意気な態度を取っている、そんな風に見えるのだろう。
けどそれは、1年の時から搾取され続けた結果だということを分かって欲しい。
その証拠に相手は全く怯むことなく、
「それが無理やから意地もプライドも捨てて、こうやってお願いしてるんやん」
「ついでに怠慢も捨てれば良かったのに」
嫌味で言ったのに、相手は愉しげにハハッと笑った。
「そう来るか!ほら、そこは俺のアイデンティティやから残させて?そんなことより頼むわ。祝、初同クラってことで」
大きな背を屈めて拝み倒している肩をトントンと叩く者がいる。
「ちょっと待って、今取り込み中やねん」
「何のだ?」
「決まってるやん、ノートを……」
そこで事態の深刻さに気付いた男子がゆっくり振り返る。目の前に居るのが担任でもある英語教師だと知って。
「うわっ、斉藤センセ!今日はまた、えらい早いお越しで」
「悪かったな。髪、長い!」
「イタタ!抜ける、抜け落ちる!」
周囲から笑い声が漏れる。
「で、ノートが何だ」
「いや、何でもありません……」
諦めた男子は前を向いて座り直すと髪を後ろで束ね、大きな肩を落とした。ハーフアップにしたからといって校則違反には変わりないが、教師もその辺は妥協しているらしかった。
九条吏(くじょうつかさ)。
地方出身の入寮組が皆方言を封印するなか、アウェイな空気などどこ吹く風で関西弁スタイルを貫く異端児。
進学校として知られるこの校内において、勤勉からは程遠く、かといってスポーツ特待生でもない。不良と敬遠されてもおかしくないポジションにもかかわらず、彼がいつも人気の中心にいるのは、ひとえに圧倒的な世渡りの上手さと人あたりの良さによるものだ。
前の席、左手で頭を抱えながら、右手でシャーペンを器用にくるっくるっと回す背中が見える。
「The die is cast. これを日本の諺では何というか。九条」
「えー、いきなり?」
「返事は?」
ハイ、と渋々返事をして、往生際悪く辞書をめくりながらゆっくりと立ち上がる。
「どうした。予習さえしていれば分かる筈だが」
「いや、ちょっと度忘れしたってゆーか。えっと、死?……が、出演者?ヒ、ヒントお願いします」
「ない」
どっと沸く教室、背中に隠された手が「お願い」のジェスチャーをしている。
仕方ない。
九条は後ろから微かに聞こえた言葉を復唱した。
「賽は投げられた」