せっかち姫とじっくり武人
グントバハロン国では、すべての国民が何かしらの労働をしなければならない。それは必ずしも給金を得るような労働だけでなく、たとえば家事や育児、家や使用人を取りまとめる仕事、奉仕活動など、「誰かの生活の支えになること」全般を指す。グントバハロンという国名は、「働き者の国」という古語が由来で、成人した国民ならば老若男女問わず、働けない理由がない限りは死ぬまで働くのがこの国の常識なのだ。
イルヴァのように宗家、あるいは公家、武家の子女ならば、結婚後は家のこと一切合切を取り仕切るのが仕事と言えるが、ほかに何かしらの仕事をすることもある。
イルヴァはどうしたのかというと、ランナルとの結婚を機に、慰問楽団に入ることにした。
慰問楽団とは、治療院や老齢院を不定期に訪問して音楽を披露する団体のことだ。自宅に帰れず、治療院で長らく治療を続けている者。身内を失い、自身は年をとって一人きりでの自活が難しくなったために、国が運営する老齢院で余生を過ごす者。そうした国民たちに、ひと時の息抜きや娯楽として、慰問楽団が音楽を届けるのだ。
せっかちなイルヴァは、姉たちと違って地道な作業が続く針仕事は得意ではなかった。しかし意外と音楽の才能があり、特に竪琴が得意だった。そのため、慰問楽団の本部での練習や、依頼のあった場所での演奏を、この家を取り仕切ること以外の仕事にする予定である。
だが、慰問楽団の仕事はもう少し先に始まる予定だ。なにせ宗家から武家に嫁ぎ、生活環境が一変したばかりだ。夫であるランナルは子供の頃から恋心を抱いてきた相手なので、決して見ず知らずの相手ではない。しかし、結婚してようやくまともに話せるようになった相手ではあるので、「しばらくは新しい環境に慣れるために、時間が必要でしょう。夫君との仲も、ゆっくりと深めてください」と、慰問楽団からは気を遣われている。
そのためイルヴァは、楽団員としての仕事に精を出す前に、まずはこの家の間取りや物の位置、それから日々仕えてくれる使用人たちの顔と名前、経歴、彼らの実家などを憶えることに専念する予定だった。
「同じ回答を申し上げますが、本日の出立があったのでお控えになったのではありませんか」
イルヴァの休憩に付き合うマーシーは、イルヴァとローテーブルを挟んで向き合うようにして座ると、自分もホットティーをすすった。主と侍女ではあるが、昔からイルヴァは、「横に立っていられると落ち着かないわ」という理由で、自分が茶を嗜むときはマーシーも座らせるのが常だった。
「そうなのかしら。それなら理解はできるけれど……でも、でもっ! ランナル様と結婚できたのが本当に嬉しくて、だけどはしたなく騒いで嫌われないようにしなきゃと思って、昨日の結婚式はとーっても頑張って冷静に振る舞ったのよ!? その頑張りの翌日にこの仕打ち……残念すぎるわ!」
「心中お察しいたします。昨日の結婚式は、せっかち姫と呼ばれるイルヴァ様にしてはとてもしおらしく、宗家の姫にふさわしい振る舞いでご立派でした。まずはそんなご自身を褒めてあげてください」
マーシーは堂々巡りをするイルヴァの愚痴に真っ向から付き合うことなく、彼女の気が休まるような言葉を返した。
イルヴァとランナルの結婚が正式に決まったのは、一年も前のことだ。結婚式や新居の用意をしている間に、イルヴァは十七歳になった。もう子供とは呼べない年齢ではあるが、ランナルとの十三歳という年の差は、何をどうしても埋まるはずがない。せめて子供っぽいと思われないようにと、結婚式でのイルヴァは人生で一番の自制心を発揮した。
本当なら、礼装姿のランナルに目を輝かせてまじまじと視線を向けたかった。早く彼に名前を呼んでほしかったし、自分も彼の名前を呼びたかった。「これまでほとんど話すことはできませんでしたが、それでもあちこちからあなたのお話は聞いていました。剣舞会でも、いつもあなただけを見ていました。子供の頃からずっと好きだったんです」と、言ってしまいたかった。
しかし、とにかく落ち着いた宗家の淑女であらねば、と思った昨日のイルヴァは、借りてきた猫よろしく、たいそう静かにしていた。
そんな自分の態度はそっけなく、ランナルに抱きたいと思ってもらえるような愛らしさはなかった――ということなのだろうか。
「私……何かランナル様の気に障るようなことをしたり、言ったりしてしまったのかしら……」
「思い当たることでもあるのですか」
「いいえ……。だって昨日は、すべての予定が終わってここへ帰ってきて、湯浴みをしたあとは寝るだけだったもの。夫婦の営みがあると思ったのだけれど、ランナル様は『疲れたでしょう。今日はゆっくりお休みください』とだけ言って、自分もお休みになってしまったの」
「でも、床は共にしたのでしょう?」
「ええ、そうよ! 広いベッドで微っみょおぉ~~~な距離をとって寝たわよ! そうよ、ランナル様のお言葉どおり、疲れてすぐに寝てしまったのよ! ああっ、もうっ!」
イルヴァのように宗家、あるいは公家、武家の子女ならば、結婚後は家のこと一切合切を取り仕切るのが仕事と言えるが、ほかに何かしらの仕事をすることもある。
イルヴァはどうしたのかというと、ランナルとの結婚を機に、慰問楽団に入ることにした。
慰問楽団とは、治療院や老齢院を不定期に訪問して音楽を披露する団体のことだ。自宅に帰れず、治療院で長らく治療を続けている者。身内を失い、自身は年をとって一人きりでの自活が難しくなったために、国が運営する老齢院で余生を過ごす者。そうした国民たちに、ひと時の息抜きや娯楽として、慰問楽団が音楽を届けるのだ。
せっかちなイルヴァは、姉たちと違って地道な作業が続く針仕事は得意ではなかった。しかし意外と音楽の才能があり、特に竪琴が得意だった。そのため、慰問楽団の本部での練習や、依頼のあった場所での演奏を、この家を取り仕切ること以外の仕事にする予定である。
だが、慰問楽団の仕事はもう少し先に始まる予定だ。なにせ宗家から武家に嫁ぎ、生活環境が一変したばかりだ。夫であるランナルは子供の頃から恋心を抱いてきた相手なので、決して見ず知らずの相手ではない。しかし、結婚してようやくまともに話せるようになった相手ではあるので、「しばらくは新しい環境に慣れるために、時間が必要でしょう。夫君との仲も、ゆっくりと深めてください」と、慰問楽団からは気を遣われている。
そのためイルヴァは、楽団員としての仕事に精を出す前に、まずはこの家の間取りや物の位置、それから日々仕えてくれる使用人たちの顔と名前、経歴、彼らの実家などを憶えることに専念する予定だった。
「同じ回答を申し上げますが、本日の出立があったのでお控えになったのではありませんか」
イルヴァの休憩に付き合うマーシーは、イルヴァとローテーブルを挟んで向き合うようにして座ると、自分もホットティーをすすった。主と侍女ではあるが、昔からイルヴァは、「横に立っていられると落ち着かないわ」という理由で、自分が茶を嗜むときはマーシーも座らせるのが常だった。
「そうなのかしら。それなら理解はできるけれど……でも、でもっ! ランナル様と結婚できたのが本当に嬉しくて、だけどはしたなく騒いで嫌われないようにしなきゃと思って、昨日の結婚式はとーっても頑張って冷静に振る舞ったのよ!? その頑張りの翌日にこの仕打ち……残念すぎるわ!」
「心中お察しいたします。昨日の結婚式は、せっかち姫と呼ばれるイルヴァ様にしてはとてもしおらしく、宗家の姫にふさわしい振る舞いでご立派でした。まずはそんなご自身を褒めてあげてください」
マーシーは堂々巡りをするイルヴァの愚痴に真っ向から付き合うことなく、彼女の気が休まるような言葉を返した。
イルヴァとランナルの結婚が正式に決まったのは、一年も前のことだ。結婚式や新居の用意をしている間に、イルヴァは十七歳になった。もう子供とは呼べない年齢ではあるが、ランナルとの十三歳という年の差は、何をどうしても埋まるはずがない。せめて子供っぽいと思われないようにと、結婚式でのイルヴァは人生で一番の自制心を発揮した。
本当なら、礼装姿のランナルに目を輝かせてまじまじと視線を向けたかった。早く彼に名前を呼んでほしかったし、自分も彼の名前を呼びたかった。「これまでほとんど話すことはできませんでしたが、それでもあちこちからあなたのお話は聞いていました。剣舞会でも、いつもあなただけを見ていました。子供の頃からずっと好きだったんです」と、言ってしまいたかった。
しかし、とにかく落ち着いた宗家の淑女であらねば、と思った昨日のイルヴァは、借りてきた猫よろしく、たいそう静かにしていた。
そんな自分の態度はそっけなく、ランナルに抱きたいと思ってもらえるような愛らしさはなかった――ということなのだろうか。
「私……何かランナル様の気に障るようなことをしたり、言ったりしてしまったのかしら……」
「思い当たることでもあるのですか」
「いいえ……。だって昨日は、すべての予定が終わってここへ帰ってきて、湯浴みをしたあとは寝るだけだったもの。夫婦の営みがあると思ったのだけれど、ランナル様は『疲れたでしょう。今日はゆっくりお休みください』とだけ言って、自分もお休みになってしまったの」
「でも、床は共にしたのでしょう?」
「ええ、そうよ! 広いベッドで微っみょおぉ~~~な距離をとって寝たわよ! そうよ、ランナル様のお言葉どおり、疲れてすぐに寝てしまったのよ! ああっ、もうっ!」