せっかち姫とじっくり武人
初夜にもかかわらず夫婦の営みがなかったのは、早々に寝ついてしまった自分にも原因がある。そう思い至ったイルヴァは、悔しさで目と唇をぎゅっと閉じた。
「ランナル様がお戻りになってから、ゆっくりとお話されればよいではないですか。六年以上も待ったイルヴァ様なのですから、三週間程度待つことなど簡単でしょう。せっかち姫でも、時にはじっくりと待つことをしなければ」
「わかっているわ! というか、それしかできないじゃない!」
マーシーの的確な助言にイルヴァは顔をしかめたが、とにもかくにも夫であるランナルがいなければ、営むものも営めない。仕方がないのでイルヴァは休憩を終わらせると、ハリーン家の女主人としての仕事をすべく、ランナルに付き従う形でハリーン家の本家からやって来た年嵩の執事に、ハリーン家のことを訊きに行くのだった。
◆◇◆◇◆
数日後――。
「ツイてないっすね、隊長。新婚早々、まーた西送りなんて」
「そう言ってやるな。ルティドロンは大事な同盟国だ。グントバハロンが、原住部族から守ってやらねば」
野営地の中心で煌々と光を放つ焚火を横目に、ランナルは部下のネロ・チッチをたしなめた。
ルティドロンの北の地に住まう原住部族。元始十五氏族という共通の遠い祖先を持ちながらも、彼らはグントバハロンやルティドロンと違って、文明を発達させることができず、時代に取り残された一族である。
言葉の通じぬ彼らは、事あるごとにルティドロンの領地に入り込んでは田畑の実りを奪い、人々を襲う。ルティドロンの若い娘や幼子が攫われたことも、一度や二度ではない。温厚な農耕民族であるルティドロンにしてみれば、原住部族たちの野生的な思考と振る舞いは、野蛮な野の獣と同じ脅威だ。
原住部族たちは険しいアルウィスタン山脈を越えられないため、ルティドロンの東隣に位置するグントバハロンには姿を現さない。だからこそ、深い森や谷など多少の難はあるものの、山脈が途切れているルティドロン北部にしつこく侵入してくるのだ。
「隣人として、原住部族とも穏やかに共存ができればいいのだがな」
ランナルは北の寒空を見上げながら呟いた。春ももう終わりに差しかかっているが、夏と呼ぶにはまだ少し遠く、月明かりが遮られてしまう森の夜は冷える。
グントバハロンの武人たちは、過去に何度も原住部族たちを追い払った。命の奪い合いはランナルの父も祖父も、そのまた上の代でも行われていたという。それでも原住部族は、ルティドロンへたびたび侵入する。グントバハロンでもルティドロンでも、「ただのモグラたたきをするのではなく、もはや原住部族を滅ぼしたほうがよいのでは」という強硬な意見が上がることがある。しかし、原住部族の人口数がそれなりに多いと考えられることや、どこにどれだけの原住部族が住んでいるのか不明なことを理由に、その意見は実現可能性が低いとして封殺されていた。
「はあぁ~、隊長はお優しいっすね~。でも、原住部族の気性じゃそれは無理ってもんですよ。あいつら、本当に野生の獣みたいなんですから。それよりどうなんですか、宗家のせっかち姫は。やっぱり噂どおりのせっかちさんなんですか」
ネロはにやついた笑みを浮かべてランナルに尋ねた。
ランナルが率いる第二陸軍第一陸上戦隊――第一陸軍との混同を避けるために、二・一戦隊とも呼ばれる――の中でも、ネロは古株だ。まだ二十六歳と若いが、流動的な人事異動が行われる陸軍の中で、この二・一戦隊に長く属している。ランナルとの付き合いも長いので、数日前に行われたイルヴァとランナルの結婚式にも招待されていた。
「さあな。式の間、ずっと静かでおとなしくて、彼女とはほとんど話していないんだ。宗家のドナート様の決めたこととはいえ、こんな年上の武家に嫁がされて、愉快ではないのだろう」
ハリーン家の次男ランナルは、子供の頃からとてものんびりとしていた。何をするにもじっくりと取り組むため、兄である長男はもちろん、妹や弟たちよりも、武芸の腕が上がるのは遅かった。しかしその分堅実さは兄弟随一で、二・一戦隊の隊長になってからは、一人の死者を出すことなく幾度も任務を成功させている。
そんなランナルは約一年前のある日、宗家の当主であるドナート、つまり自国のトップから直々に呼び出されてこう言われた。「ほかに想う相手がいないのであれば、末姫のイルヴァを嫁にやろう」と。
ランナルは武家の男だが、次男だからなのか、両親から政略結婚を望まれているわけではなかった。必ず結婚して子供を作るならば、嫁は誰でもいいとさえ言われていた。
しかし、元来ののんびり気質が災いしてか、ランナルは三十手前になってもまだ、嫁の候補がいなかった。習わしなので童貞は娼館で捨てて、娼婦相手に性交の知識と経験は積んだが、実際には結婚相手どころか恋人の一人もいたことはない。
ともすれば生涯独身の可能性があったランナルは、国主ドナートから末姫を嫁にやると言われてありがたい、と思った。しかし末姫個人のことを考えると、申し訳ない、とも思った。
「ランナル様がお戻りになってから、ゆっくりとお話されればよいではないですか。六年以上も待ったイルヴァ様なのですから、三週間程度待つことなど簡単でしょう。せっかち姫でも、時にはじっくりと待つことをしなければ」
「わかっているわ! というか、それしかできないじゃない!」
マーシーの的確な助言にイルヴァは顔をしかめたが、とにもかくにも夫であるランナルがいなければ、営むものも営めない。仕方がないのでイルヴァは休憩を終わらせると、ハリーン家の女主人としての仕事をすべく、ランナルに付き従う形でハリーン家の本家からやって来た年嵩の執事に、ハリーン家のことを訊きに行くのだった。
◆◇◆◇◆
数日後――。
「ツイてないっすね、隊長。新婚早々、まーた西送りなんて」
「そう言ってやるな。ルティドロンは大事な同盟国だ。グントバハロンが、原住部族から守ってやらねば」
野営地の中心で煌々と光を放つ焚火を横目に、ランナルは部下のネロ・チッチをたしなめた。
ルティドロンの北の地に住まう原住部族。元始十五氏族という共通の遠い祖先を持ちながらも、彼らはグントバハロンやルティドロンと違って、文明を発達させることができず、時代に取り残された一族である。
言葉の通じぬ彼らは、事あるごとにルティドロンの領地に入り込んでは田畑の実りを奪い、人々を襲う。ルティドロンの若い娘や幼子が攫われたことも、一度や二度ではない。温厚な農耕民族であるルティドロンにしてみれば、原住部族たちの野生的な思考と振る舞いは、野蛮な野の獣と同じ脅威だ。
原住部族たちは険しいアルウィスタン山脈を越えられないため、ルティドロンの東隣に位置するグントバハロンには姿を現さない。だからこそ、深い森や谷など多少の難はあるものの、山脈が途切れているルティドロン北部にしつこく侵入してくるのだ。
「隣人として、原住部族とも穏やかに共存ができればいいのだがな」
ランナルは北の寒空を見上げながら呟いた。春ももう終わりに差しかかっているが、夏と呼ぶにはまだ少し遠く、月明かりが遮られてしまう森の夜は冷える。
グントバハロンの武人たちは、過去に何度も原住部族たちを追い払った。命の奪い合いはランナルの父も祖父も、そのまた上の代でも行われていたという。それでも原住部族は、ルティドロンへたびたび侵入する。グントバハロンでもルティドロンでも、「ただのモグラたたきをするのではなく、もはや原住部族を滅ぼしたほうがよいのでは」という強硬な意見が上がることがある。しかし、原住部族の人口数がそれなりに多いと考えられることや、どこにどれだけの原住部族が住んでいるのか不明なことを理由に、その意見は実現可能性が低いとして封殺されていた。
「はあぁ~、隊長はお優しいっすね~。でも、原住部族の気性じゃそれは無理ってもんですよ。あいつら、本当に野生の獣みたいなんですから。それよりどうなんですか、宗家のせっかち姫は。やっぱり噂どおりのせっかちさんなんですか」
ネロはにやついた笑みを浮かべてランナルに尋ねた。
ランナルが率いる第二陸軍第一陸上戦隊――第一陸軍との混同を避けるために、二・一戦隊とも呼ばれる――の中でも、ネロは古株だ。まだ二十六歳と若いが、流動的な人事異動が行われる陸軍の中で、この二・一戦隊に長く属している。ランナルとの付き合いも長いので、数日前に行われたイルヴァとランナルの結婚式にも招待されていた。
「さあな。式の間、ずっと静かでおとなしくて、彼女とはほとんど話していないんだ。宗家のドナート様の決めたこととはいえ、こんな年上の武家に嫁がされて、愉快ではないのだろう」
ハリーン家の次男ランナルは、子供の頃からとてものんびりとしていた。何をするにもじっくりと取り組むため、兄である長男はもちろん、妹や弟たちよりも、武芸の腕が上がるのは遅かった。しかしその分堅実さは兄弟随一で、二・一戦隊の隊長になってからは、一人の死者を出すことなく幾度も任務を成功させている。
そんなランナルは約一年前のある日、宗家の当主であるドナート、つまり自国のトップから直々に呼び出されてこう言われた。「ほかに想う相手がいないのであれば、末姫のイルヴァを嫁にやろう」と。
ランナルは武家の男だが、次男だからなのか、両親から政略結婚を望まれているわけではなかった。必ず結婚して子供を作るならば、嫁は誰でもいいとさえ言われていた。
しかし、元来ののんびり気質が災いしてか、ランナルは三十手前になってもまだ、嫁の候補がいなかった。習わしなので童貞は娼館で捨てて、娼婦相手に性交の知識と経験は積んだが、実際には結婚相手どころか恋人の一人もいたことはない。
ともすれば生涯独身の可能性があったランナルは、国主ドナートから末姫を嫁にやると言われてありがたい、と思った。しかし末姫個人のことを考えると、申し訳ない、とも思った。