Fahrenheit Ⅳ

それからすぐに瑞野さんは一人でランチに入っていった。


瑞野さんがランチから帰ってきても、啓は帰ってこなかった。よっぽど難しい商談なのだろうか。それともまた真咲さんと揉めて?


そんなことを考えてからかな、午前中より仕事が進まなかった。


啓が帰ってきたのはそれから三十分後だった。手にはビニール袋に入った高級そうな箱に入った何かを手にしている。ビニールにはどこかの店だろうか青い字で何かのロゴとフランス語だと思われる店名が書かれていた。


「ただいま~、帰りに青山でうまそうなスイーツ店見つけてプリン買ってきた~差し入れ」と軽い口調で言ってそれをデスクの中央に置いた。


その顔に疲れや難しいものを考えている表情は浮かんでいなかった。じゃぁ商談はそれ程難航しなかったというのか。


「わぁ!ここ人気の店ですぐにプリン売り切れちゃうんですよ。なかなか手に入らないって噂があったのに、よく買えましたね」と佐々木さんがいち早く食いついた。


佐々木さんが取り出したプリンの種類はイチゴとマンゴーとピスタチオ、プレーンと言う四種だ。


「柏木さん何食べます?」


佐々木さんに聞かれて


「私は残ったものでいいです」とややそっけなくなっちゃったかな、せっかく気遣ってくれたのに。佐々木さんに当たったつもりはないけど、と思いながら答えていた。


しかし何で急にプリンなんて……


まぁたまに出先でこうやってスイーツを買って帰ることもあるけれど。瑞野さんの為―――?


「佐々木さんは?」と瑞野さんが佐々木さんに聞いていて「僕ですか?僕はじゃぁピスタチオ味が」と言ってプリンを手に取る。


「じゃぁあたしはいちごもらちゃっていいですか?」と瑞野さんがイチゴ味を手にして啓は黙って頷いた。見るからに女の子っぽい瑞野さんは選ぶのものはやはり女子がいかにも好みそうな味。残るはマンゴーとプレーン。


「か、柏木さんは?」何故かこちらの様子を窺うように恐る恐る、と言った感じで聞かれ


「残ったものでいいです。部長お先にどうぞ」と今度は意図してそっけない返事をかえして啓の眉が下がるのが分かった。


何やってるの、あたしったら。こんなの完全なる八つ当たりじゃない。大人気ないと分かっていたが素直になれない。


啓は結局、当たり障りのないプレーン味を取って、あたしにはマンゴー味が残った。


たった一つ残ったプリンに手をつけようとしなかったのは何故だろう。瑞野さんへの手土産のついでなんじゃないかと思うとなかなか手が出ない。心臓が捻じりに捻じ曲がってしまった気がした。こんなの子供がお気に入りのオモチャを取られて拗ねているようなものじゃないか。


「このままじゃ傷んじゃいますね、あたし冷蔵庫入れておきます」と瑞野さんが気を利かせて箱ごと持っていこうとしたが


「待ってください」とあたしはが立ち上がり、残ったマンゴープリンにマジックで”外資 柏木”とプリンのプラカップに書き込んだ。捻じ曲がった心を通常に戻すように、何事もなかったかのように。


こんないじけて啓の買ってきてくれたプリンを無駄にするのも大人気ない。

< 105 / 130 >

この作品をシェア

pagetop