Fahrenheit Ⅳ

と思っていると電話が掛かってきた。一瞬、緑川さんかと思っていたが、着信は葵さんからで


『明けましておめでと~』といつも以上に明るい声は新しい年を迎えたから、か。


いや、この人はいつもこんな感じだ。


「明けましておめでとうございます」こちらは至って普通に答えると


『あれからさ~空汰に嫌がらせとかされてない?』と、心配してくれた。


「ありがとうございます。こちらは静かなものですよ」


でもこれは嵐の前の静けさって言うのかしらね。さっきの転がったキングの駒がふいに頭を過る。


急に自分が今台風の目のど真ん中にいる気になった。


『空汰さ~、あれから荒れて荒れてもう手がつけられないぐらい』


へぇ……よっぽど緑川さんの心が離れて行ったことに参っていると思う。


『毎日愚痴の嵐ヨ。”あいつはカネと権力しか魅力がない”だの”ただの従順な犬かと思ってた”だの”』


カネと権力?従順な犬?酷い言いようだ。これを本人に聞かせてやりたい。そうしたら一発アウトだろうがまだカードを切るわけにはいかない。


『毎日家に行ったり電話したりしてるみたいだけど、全部無視されてるって』


「それはそうでしょうね。ホテルでの出来事を知ってしまったわけだし。直接浮気を目撃したわけじゃありませんが、心の浮気程傷つくものはありません」


そっけなく言うと


『へー、何か経験してきたみたいな言い方』と葵さんがのんびりと言った。


「直接もありますし、心もありますよ」マックスで散々やられてきたからね。その度に何度心から血を流したか。


『それって元カレ?』


「直近ではありませんが元カレには変わりません。二村さんの状況は分かりました。では…」と電話を切ろうとすると


『わー!待って待って!』と葵さんはまだ何か話したいようだ。


あたしとしては二村さんの動向を知れたからそれでいいんだけれど。


『瑠華ちゃん、三が日いつか空いてない?初詣行こうよ』


「は?何故私があなたと」


『いいじゃん。たまにはサ、クリスマスもカウントダウンも断られたし~』


それを言われると……


『出店もいっぱい出るんだ。それに日本に居たらやっぱ初詣だよ』


何ですか、その変な言い訳は、と言いたかったが


いけない、そろそろ緑川さんが到着する時間。


『分かりました。では三が日は混むので四日はいかがですか?』


と渋々答えると


『四日!?ヤッタ!じゃぁ約束ね~』と言って一方的に通話は切られた。


何なんだ、あの嵐のような電話は。


黒くなったスマホを眺めているとやだ、もうこんな時間。


そろそろ緑川さんが到着する時間だ。


あたしは慌ててジョッキーブーツを履いて部屋を後にした。


エントランスロビーに向かうとまだ緑川さんは到着してないようで、カウンターには相変わらずウチヤマさんが姿勢正しく立っていた。


「明けましておめでとうございます、ウチヤマさん。本年もよろしくお願いいたします」


「明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」


ロビーに居た数人の住人がこちらをちらちらと見ていたけれど、いつものことだ。あたしはその視線を無視して


「すみません、友人が来る予定なのでソファで待たせてもらっても?」と言うと


「勿論、ごゆっくりどうぞ」とウチヤマさんは爽やかな笑顔を浮かべた。


相変わらずひそひそ声は止まなかったけれど、エントランスロビーから小豆色をしたいかにも高校生の体育の時間のジャージ姿、目深にキャップを被ったその人物が


「柏木補佐!」と手をぶんぶん振って現れたとき、そのひそひそ声は止んだ。


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